セイレム塾のスティアフォース ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」

1.
デイヴィッドはセイレムの学校でスティアフォースと出会う。スティアフォースと会ったその日に、デイヴィッドは母から貰った大切な金を全額巻き上げられてしまう。デイヴィッドの心配をよそに、金は特別な祝宴を開くために使われ、その夜デイヴィッドは生徒たちの仲間入りをする。「恐怖でいっぱい」だったと開校を恐れていた不安が一夜で解消されたことで、デイヴィッドはとられた金が有益に使われたと信じ、スティアフォースを慕っていくようになる。

ペゴティーから贈り物が届くと、食料などはスティアフォースに献上された後に分配されているが、この時、学は無いけど必ず手紙を出すからと約束してくれたペゴティーからの手紙については、嬉しいと一言で片付けられ、どういったものであったのか全く触れられていない。故郷では彼の忠実な味方であり、学校へ送られる前には危険を冒してまで二度も会いに来てくれ、開校前は「あの優しいペゴティーの言葉をなつかしんで、泣いていた」と、彼の心の支えであったペゴティーは、スティアフォースへの心酔によって、すっかり影を潜めている。なによりこの一連の話も、ペゴティーからの贈り物について述べられたのではなく、スティアフォースがいかに思いやりの深い男であったか、として切り出され、自分のために飲み物を注いでくれた思い出を語ったに過ぎないのだ。

2.
夜の祝宴後、スティアフォースはデイヴィッドに「妹(sister)はいないの?」と聞き、「もしいれば、さだめし大人しくて、目のぱっちりした美人だろうに」残念だ、と語っている。この発言は信用を得た仲間の身内から、さっそく利益を引き出そうとする彼の性質が表れているように見えるが、他にも作中で語られぬエピソードが一つ仄めかされているのではないか。

妹と言えば、クリークル校長には、かつて学校の手伝いをしていた長男がいたが、校長と門番の厳しすぎる方針に反抗したため追い出されたという。そしてスティアフォースが付き合っているお嬢さんとは、その妹に当たる。デイヴィッドによれば、お嬢さんは「物静か」で「美人」ということだから、上記のスティアフォースの好みとも合っている。

ところでスティアフォースは、校長も門番も手を出せない存在であり、生徒ではただ一人、特別に校長らとの食事に招かれ、その時に起きた出来事も語ることができ、学校の出入りも自由に許され、校長の娘とは公然と付き合っている。セイレム塾における彼は、まるで長男のいたポジションに治まっているかのようなのだ。

校長は長男について、「あいつは、また来おったか」と、門番に確認して警戒を表し、自分の厳しい指導はたとえ血の分けた肉親でも容赦しない、と言ってデイヴィッドを脅している。父と子の争いはたびたび起きていたようで、「あいつも、だんだんわかったようだな」「そうだ、来ないにかぎる」と妻と娘に向けて語り、二人を泣かせている。そしてこの後、長男は出てこない。

スティアフォースが校長も手出しできない特別な生徒として扱われ、さらにはその娘との交際も許されている理由とは、この長男の追い出しに一躍買ったからではないだろうか。

クリークル校長は学校の絶対権力者のように見えながら、義足の門番に何やら秘密を握られているという噂があり、実は弱みに付け込まれている側面が見出せる。校長ら周辺の噂話は、宴会の時に生徒から語られたもので、長男のことも「門番と仲が悪く、母親への仕打ちが酷いことを言い出したため勘当された」と、この時に伝えられている。しかしデイヴィッドは話を聞きながら、「みんな、どうしてそんなことを知っているのか、私は不思議でならなかった」と、疑念を差し挟んでいるように、噂話の出所は不明瞭で考慮される余地がある。
これら家庭の内情まで知る人物となると、校長らと食卓を共にし、娘と交際しているスティアフォースが最も近い。実際に先生たちの肉の取り分についての話が、この後スティアフォースによって裏付けされている。スティアフォースは自分が長男追い出しに関与したとしても、当然都合の悪いことは控えて話しただろう。

実の子と諍いを起こしているようでは、校長が他の人間を信用できるはずもない。クリークル校長が「飢えを充たす」ように毎日生徒をむち打ち、屈従させているのは、長男との争いのさ中にあって厳しさを損なうまいと、学校の風紀と自分自身を律しているためだと言えよう。

校長は初対面のデイヴィッドに「おそろしく厳しい人間」「一度思い立ったら、テコでも動かぬというのが、わしだ」と信念を植え付けているが、スティアフォースはこの校長の考え方を肯定し、偏屈ぶりを助長させ、長男を追い出した行為をも正当化するよう仕向けて信頼を得ていながら、一方で娘に対しては一家の和解の道をほのめかすなどして、まんまと好意を受けていたと考えられる。そうなると生徒たちが攻撃の的にされているのも、もとはスティアフォースが裏から親子の争いを焚き付け、二人を反目させているせいということになる。

スティアフォースは宴会の夜、もし校長が自分に手出ししてきたら打ち倒してやると豪語し、生徒たちを驚かせているが、実際に彼がクリークル校長に干渉することはない。後にスティアフォースは母への手紙に、デイヴィッドを特別に可愛がっていたとまで書いていたことが明らかになる。しかしデイヴィッドはスティアフォースと友達になったことで、他の生徒たちのイジメから守られていたとしながら、校長のむち打ちからは守ってくれなかったことを、わざわざ繰り返して述べている。
「もっとも、校長からだけは、守ってくれるわけにはいかなかった――少なくとも、守ってくれなかった」
この反復には、守ってほしかった、なぜ守ってくれないのかという、デイヴィッドの疑問と訴えが読み取れる。彼の悩みの種である「噛みつきます」プラカードについても、スティアフォースは何の働きかけもしてくれない。また生徒たちはお互い庇いあうのが神聖な義務とされていながら、スティアフォースの罪を被らされたトラドルズをむち打ちの犠牲にしたままにしている。トラドルズはメル先生を庇ってスティアフォースを非難したことなどで、スティアフォースから目を付けられ軽蔑されているが、校長に一番むち打たれている生徒というのもトラドルズであり、ここにもスティアフォースと校長の利害の一致を見出せる。

スティアフォースが校長のむち打ちを止めさせず野放しにしたままでいるのは、校長が激しやすい性格のままであった方が、スティアフォースにとって校長を扱いやすいためであろう。メル先生を追い出した際も、まずは生徒たちをけしかけて、最終的にはクリークル校長に追放処分を下させるなど、周囲の人間を思惑通りに操って事を運んでいる。

20章でスティアフォースの母は、息子を「喜んで下手に出てくださるような方」に預けた、とセイレムにおける教育方針と成果を披露しているが、校長門番シャープ先生はともかく、実直な人格の長男とメル先生の存在はスティアフォースにとって邪魔となったはずだ。メル先生は去り際に、「とうてい君は友達ではない」と周囲の生徒たちに警告しているように、スティアフォースの本性を見抜いており、学校生活での妨げとなるような存在なのだ。スティアフォースには長男とメル先生を排除したい十分な動機があり、メル先生を追い出したよう、長男の追い出しにも関与していた可能性が高い。作中で物語られるメル先生の追い出しとは、過去にあった長男追い出しの延長や再現と取ることができる。追い出された長男の立場にスティアフォースが入れ替わったように、メル先生の教師としての役割も彼がしばらく受け持っている。

スティアフォースには何故か暴君の校長も逆らえないことで、セイレムの生徒たちに深い尊敬を抱かせているが、クリークル家を破壊したのも、そのため生徒たちが校長の暴虐に晒されているのも、スティアフォースがかなえた画策であり、彼一人だけがその利益を得ている構図が見えてくるのだ。

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