ネリーの思い込み 嵐が丘(3)/ブロンテ

1.

「わたし以上にあなたに夢中だっていう人がついに現れたの。あなたもいい気分でしょう? いえ、ネリーじゃないわ。ネリーなんか見ていないで」(10章)
ヒースクリフの動きから目をはなすまい、とわたしは心に決めました。(10章)
戸口に現れたのはヒンドリーでなく、ヒースクリフでした。その姿を見るなり、わたしはそちらに背を向けて、来た道を全速力で駆け戻りました。(11章)
「ユダ!裏切り者!それに偽善者だったんだね。計画通りの裏切りっていうわけだわ」わたしは思わず叫んでいました。(11章)

10章でキャサリンがイザベラをからかうが、「あなたに夢中だっていう人」と言われたヒースクリフはネリーを見ている。イザベラからの好意と知ったヒースクリフは、「珍しい生き物でも見るよう」に眺めたりと、イザベラには何ら興味を抱いていない。

ネリーは思いがけずも自分の評価がイザベラを上回っていたことで、嬉しい気持ちを味わったはずだ。しかしヒースクリフはネリーなどに用は無く、イザベラに利用価値を見出して何やら企んでいる。ネリーが一瞬のぼせ上ったとしても、その気持ちはすぐ追いやられてしまうのだ。

キャサリンが部屋を出て行くたびにひとりで微笑を浮かべて、と言うよりむしろ、にやりと笑って、不気味な考えにふけっておりましたもの。(10章)

傷つけられたネリーの自尊心は、執着心に変わっていく。この後ネリーはヒースクリフの動きを監視し始めると、「縁が切れ」るようにと願ったり、嵐が丘では「悪鬼」のように見えて逃げ帰ったり、イザベラに言い寄るのを見ては「裏切者」と糾弾している。
それと同時に、主人としてのエドガーを「お優しくて人を疑わない立派な方」だと高く評価し始めたり、ヒンドリーを「神に見放された迷える羊」などと心配しては、嵐が丘に駆けつけたりもする。

ヒースクリフにすげなく扱われてしまったネリーは、自分の召使としての影響力の強さや、必要性を示してやろうと意気込んでいる。いち早くヒースクリフの企みにも気づくと、屋敷を守ろうと決意を固め、主人であるエドガーやヒンドリーにも積極的に干渉し始める。一方で自分を不躾に扱ったキャサリンには「信頼がおけない」などと冷たく当たるようになる。

自分がただの召使以上の存在であると、高い誇りを持とうとしても、ネリーはすぐに身の程を思い知らされることになる。ヒースクリフはイザベラを利用しようとするし、キャサリンからは身分をわきまえるよう叱られ、「お優しくて人を疑わない」と思っていたエドガーからは厳しく非難されてしまう。結局、召使と主人には越えられない壁があり、出過ぎた真似をすれば抑えつけられる。そうした現実認識への抵抗が、ネリーを感情的に動かしていく。

2.

旦那さまは下へおり、下男たちに廊下で待つように命じてから、わたしの先に立って台所に入っていかれました。台所の二人の言い争いはまた始まっていたようで、キャサリンが勢いを取り戻してがみがみ言い立てているのは確かでした。窓の近くに移ったヒースクリフはうつむき加減で、キャサリンの剣幕にいくらかひるんでいるように見えます。(11章)

ヒースクリフがイザベラに言い寄り始めたために、ネリーは激怒し、キャサリンからは「人を苦しめるのが何よりの喜びなのね」と責め立てられる。しばらくすると、ネリーは二人を置いてエドガーの部屋に行き、「ヒースクリフの訪問を考え直す時」だと主人を口説いて現場に送り付ける。
ところがいざ台所に入り込んでみると、キャサリンに叱りつけられてヒースクリフはうなだれており、既に事は収束しかけていた。収まりかけていた問題が、エドガーの乱入よって蒸し返されてしまったのだ。それもこれも、ネリーがわざわざエドガーを焚き付けたばかりに起きている。

「君に文句を言われる筋合いはない。おれの女房でもないのに焼きもちを焼くことはないだろうよ」
「まあ、わたしが焼きもちをやかないのが悪いのね。」「あなたが来たせいで気むずかしかったエドガーの機嫌がやっとなおり、わたしも安心して気持ちが落ちついたところに、こうしていざこざを起こしにやってくる――わたしたちが平穏に暮らしているのがいやなんでしょう?」(11章)
「イザベラはエドガーの相続人だろう?」
「あなたは隣人の持ち物をほしがりすぎるようだけれど、この場合の隣人のものっていうのは、つまりわたしのものですからね」
「おれのものになったって、きみのものに変わりないさ」(10章)

ヒースクリフがイザベラに言い寄ったのは何も財産が目当てではない。亭主のエドガーからキャサリンの愛情を奪えない「嫉妬」であることが、上記の会話から読み取れる。ヒースクリフは紳士となって帰ってきたが、キャサリンの気を惹くには至らず(理由は後述)、始めは案じていたエドガーも立ち直るほどでスラッシュクロスの脅威とはなっていない。そのためヒースクリフは相続人であるイザベラに言い寄ることで、キャサリンの関心を引き留めようなどと企んだのだ。

しかしヒースクリフがいくら復讐などしたところで、キャサリンの想いを自分に向けることはできない。キャサリンに叱りつけられたヒースクリフがうなだれるのも無理はなく、彼の復讐心は萎みかけていた。ここにエドガーが乱入してヒースクリフを出禁にするために両者は完全に対立してしまい、キャサリンの説得も台無しにされてしまう。

こうした騒動の後、キャサリンはネリーを呼びつけて会話をする。ここでネリーはキャサリンの言いつけを2つも守らない。
一つは「これ以上あたしを怒らせたら、ほんとうに狂ってしまう」「エドガーと顔を合わせたら、重病になりそうだって伝えて」と頼まれていたのに、エドガーに何も伝えないどころか、二人を会わせて揉めさせる。二つ目は「どうしてまたエドガーも、立ち聞きなんかする気になったのかしら」と理由を尋ねられても、勘違いを正さない。

わたしは憤慨の言葉を漏らさずにはいられませんでしたが、キャサリンは怒った声でわたしに向かってお黙りと言いました。失礼な口をきくのなら台所から追い出すからね、と言うのです。
「聞いていると、まるでここの奥さまみたいなものの言い方じゃないの。立場をわきまえてちょうだいね」(11章)

嵐が丘では逃げ帰っていたネリーだが、スラッシュクロスでヒースクリフが堂々と悪行を宣言すると、面と向かってものを言っている。ところがネリーは「立場をわきまえる」ようにと、身分を理由にキャサリンから発言を封じられてしまうのだ。怒りが収まらないネリーは、エドガーを焚き付けて現場に出向かせている。
このときネリーはキャサリンに意志を奪われた復讐をしている。ネリーを黙らせたキャサリンは、見事にヒースクリフをやり込めているが、ネリーにだって言いたいことはたくさんあったのだ。怒りを抑え込まれたネリーは、主人であるエドガーに個人的な判断を吹き込むことで、出禁を言い渡させている。

エドガーが立ち聞きしたと思い込んでいるキャサリンに真相を告げれば咎められてしまうが、ネリーの自尊心はそれを許さなかったのではないか。ネリーからすればキャサリンに黙らせられたせいでもあるし、自分なりにスラッシュクロスを守ろうとしていたのだ。実際に思い出深い嵐が丘は、ヒースクリフによって変わり果てていた。
さらに「今度のことでは、あたしは全然悪くないの」と、ネリーの気持ちを察することもないキャサリンに、エドガーを向けさせることで、代わりに報復を加えさせている。

悪影響がスラッシュクロスのお屋敷にまで広がらないように全力を尽くそうと心に決めたのでございます。たとえそれがキャサリンのお気に召さず、お屋敷内に波風が立っても、それは仕方ありません。(11章)

この章でエドガーは二度も現場に差し向けられているが、その裏では屋敷からヒースクリフを遠ざけたいネリーが上手く情況を操作している。そのために夫婦間の絆は裂かれていき、キャサリンは病に陥ってしまうのだが、ヒースクリフという脅威と戦っているためにネリーは自分の行動を正当化し続けるのだ。

3.
12章でキャサリンが正気を失いかけているのにネリーは世話を放棄し、夫婦の仲も取り持とうとしない。やがて医者からキャサリンの我儘は聞くようにと、以前受けた忠告を思い出している。愛情をたくさん与えてこそキャサリンは回復するとの言いつけだが、ネリーは医者の指示を差し置いて、愛情不足の訴えを「芝居をしている」と思い込むことで退け続ける。
エドガーからの信頼が損なわれたと思い込んだキャサリンは錯乱を起こし、いよいよエドガーからも今までの対応を咎められてしまう。しかしネリーは主張を曲げずに真っ向から対抗し、ヒースクリフが家に上がり続けるのを容認していたエドガーを咎め返している。つい先日はエドガーを「お優しくて人を疑わない立派な方」などと呼んでいたが、端から忠誠心など持ってはいないのだ。
ではなぜネリーはキャサリンを、エドガーとヒースクリフの両方から遠ざけようとするのか。

「ネリー、あんたときたらそのぼうっとした顔はなあに?もっとわたしのことを心配しているような顔をしてほしいものだわ」
確かに、無表情で聞いているわたしの様子を見ればいらだちもしたでしょう。キャサリンの指図は本当に真剣なものでしたから。でもわたしの考えでは、前もって自分の発作の効果的な利用を計画できる人なら、発作が起きても意志の力で自分をある程度おさえられるはずではありませんか。(11章)

ネリーはキャサリンが発作をコントロールできるものと思い込んでおり、症状の深刻さに全く理解が及んでいない。ヒースクリフとエドガーの両方にいい顔をし続けようとするのも、単なる「わがまま」としか捉えられていない。そのため医師の指示も無視して、厳しく突き放す態度を取り、主人であるエドガーがキャサリンを甘やかすことにも反対しては、逆にヒースクリフの介入を容認し続けた責任を咎め返している。
エドガーはキャサリンの意志を尊重してヒースクリフの介入も許していたが、ネリーはキャサリンの様態を犠牲にしてまでヒースクリフを屋敷から追い出そうとする。召使は我を貫くのだ。

こうしたネリーの見解は、嵐が丘時代から変わっていない。キャサリンは結婚後もヒースクリフとの関係を保とうとするが、ネリーは女主人ともなれば身も心も落ち着けるべきだと考えを異にしていた。

「ヒースクリフはいままでどおりわたしにとってたいせつなひとよ、エドガーも反感を捨てて、せめて我慢してくれなければ、わたしのほんとうのきもちがわかればエドガーもそうなると思うわ。ネリー、わかってるわよ。あたしのことを身勝手だと思うんでしょう。だけどエドガーと結婚すれば、あたしはヒースクリフの出世を助けて、兄さんの手から救い出すことが出来るもの」
「ご主人のお金でですか?」「エドガーさんと結婚なさる理由として、いまのが一番いけないと思いますね」(9章)
「ネリー、わたしはヒースクリフなの。いつでも必ずヒースクリフはわたしの心の中にいる。だから、わたしたちが別れるなんていう話は二度としないで。」
「あなたは結婚にともなう義務というものを知らないか、さもなければ、破廉恥な性悪娘かのどちらかだということですよ。」(9章)

またエドガーとの婚約についても、「いつまでも美男子で若いわけじゃない」「金持ちで無くなるかもしれない」「今のことしか考えないのなら結婚なさいな」と、素直に祝福できずにいる様子からは、嫉妬心も垣間見える。

「これからはこれに懲りて、気をつけることにいたします。知りたいと思われることは、今度から旦那さまご自身でお調べくださいましね」
「今度いい加減なことを言ったら、屋敷をやめてもらうよ、エレン」
「では、もう何も聞きたくないとおっしゃるんですね、旦那さま」と私は申しました。(12章)

自分こそが屋敷の秩序を守っていると自負するネリーだが、これまでの対応をエドガーに咎められ、「お前の言うことは二度と訊かない」と方針を否定されてしまうと、「せいぜい自分でさぐってみてくださいね」と反抗する。するとその言葉通りにイザベラに関する不審や疑念を放棄して、駆け落ちする二人を取り逃がす。
11章の終わりでエドガーはイザベラに「ヒースクリフに色目を使ったら縁を切る」と警告し、ネリーもこの話を聞いていた。イザベラが駆け落ちすると、実際にエドガーは「ヒースクリフの家族とは付き合わない」と絶縁を告げるため、スラッシュクロスからヒースクリフを引き離したいネリーの思惑通りに事が運ぶことになる。

タイトルとURLをコピーしました