現実と虚構 納屋を焼く/村上春樹

彼女はパントマイムを習っていたり、広告モデルをしていたりと、演じることに興味があるようだ。その彼女と知り合った主人公が話の語り手となっているが、読者は書き出しの2ページほどを読むだけで、記述のあまりの不明瞭さに信頼がおけなくなってしまう。

「悩まさなければならないこと」がたくさんあり、現代社会での生活に疲れ果てている主人公は、「年齢とか家庭とか収入とか」は気にかけず社会的な制約を受けない自由な彼女の生き方に影響を受けると、「そう言われてみれば、それはまあそうだ」などと同意してしまう。
続けて彼女の収入源であるボーイフレンドたちとの関係性の持ち方について、主人公自身も「うまく説明できない」と諦めるほど曖昧なものでありながら、何故か「要するにそういうことだと思う」と納得させられている。
主人公によると、彼女との付き合いにより「ぼんやりとした感情をいくつかの明確な形に」変えられていくらしい。曖昧な立場も関係も感情も、彼女によって受容させられるものに変わってしまうのだ。

話すべきことはべつに何もなかった。
本当にそうなのだ。
話すべきことなんて何もないのだ。

これからいろいろと不思議なことが起きていくのだが、彼女と知り合ってから既に主人公の様子がおかしくなっている。彼女の「みかん剥き」を見せられた主人公は、その様子を「だんだんまわりから現実感が吸い取られ」ていくようだと、イスラエルの処刑に例えて説明している。これは彼女の演技によって、存在しないものをあるように見せられた主人公が、死のイメージを想起させられながら現実から切り離されていく様子が表現されている。

この物語は彼女の「演技」によって、主人公が見ている現実と、虚構の境界があやふやになっていき、しまいには虚構の世界へと送り込まれていくという内容になっている。

アフリカから帰国した彼女を空港まで迎えに行くが、結局は別々に帰ることになるため、主人公は「なんのためにわざわざ空港まで来たのか、わけがわからなかった」と腑に落ちないでいる。彼女が主人公を呼んだのは、帰国する姿を見せつけるためではないか。

二人が腕を組んでゲートから出てきた。二人は感じの良い若夫婦みたいに見えた。彼女が僕に男を紹介した。我々はほとんど反射的に握手をした。

これら一連の行為が、彼女のパントマイムであると考えられる。つまり彼は実在しない。彼女が腕を組むような姿を見せながら出てきたことで、主人公には隣に誰かが存在するように見えている。彼女の動作や仕草から若夫婦みたいな印象を受ける。彼女が存在しない男を紹介したことで実在性が増す。反射的に握手をしているのは彼女の演じる虚構の世界と、主人公の認識とがぴったり合ったことを意味している。
彼についてのイメージが空港での第一印象で植え付けられたことを、語り手自らが強調してもいる。

どうしてその男のことをそんなにくわしく知っているかというと、僕が空港まで二人を出迎えに行ったからだ。

彼女は天丼を食べ、主人公と彼はアフリカや中東の話をする。彼は「北アフリカから中東にかけて」かなり詳しいというのだが、主人公もこれまでイスラエルの処刑の話をしていたり、アルジェリア大使館に知り合いがいるなど、もともと北アフリカと中東に詳しい。この対話とは存在しない相手に向かって主人公が一人で演じさせられていたのではないか。彼女は天丼を食べることで、干渉を逃れながら男が存在するよう振る舞うことができる。

序盤で主人公は「話すべきことなんて何もないのだ」と繰り返していたが、彼女とは会話が無くても疎通を図れる不思議な通じ合い方をするらしい。パントマイムが言葉を発せず、身振り手振りで表現されるように、彼女の動作から主人公の周りには存在しない世界が築き上げられていく。「話すべきことなんて何もない」という二人は、虚構の世界を通じて意思を取り交わしている。虚構側の世界に築かれた存在が彼となる。
以降も彼女と遭遇すると「そのわきには必ず」彼の姿も一緒に見えていたりと、彼は彼女と同時にしか現れることができない。彼は彼女の「きちんとした恋人」などと認識されていたのに、主人公は彼女とデートするばかりか、彼が待ち合わせ場所に送ってくれるなど、関係性が入り乱れているのに主人公は何ら疑問を持たずに受け入れてしまう。

貿易の仕事をしているんです、と彼は言った。
「貿易の仕事?」
「彼がそう言ってたよ。貿易の仕事をしてるんだってさ」
「じゃあ、そうなんでしょ。でも……よくわかんないのよ。だってべつに働いているようにも見えないんだもの。よく人に会ったり電話をかけたりはしてるみたいだけど。」

すぐ横で聞いていたはずの彼女が、話の内容を全く知らない様子でいることからも、主人公が一人で演技をさせられていた印象を受ける。また彼女自身も「働いているように見えない」ことや、この会話後に彼女から「電話」がかかってきて会う展開へと以降したりと、二人の同一性も仄めかされている。

父の遺産が彼女の旅行資金になったらしいが、主人公は「少なくとも彼女の話によればそういうことだった」と確信を持てずにいる。彼女が北アフリカへ行きたいと言ったときに、主人公には「ちょうど」アルジェリア大使館に勤めている知り合いがいた。彼女の収入はボーイフレンド達から補われているとのことだが、彼女とそのボーイフレンドたちとの関係性を「うまく説明できない」でいる主人公も、実は旅行を名目に資金をかすめ取られたのではないか。

日曜日に主人公は朝から7個もリンゴを食べているといい、さらにもう1個食べる。いくらなんでも1日で8個もリンゴを食べる人がいるとは考えづらいが、これもみかん剥きならぬリンゴ剥きをしている状態にあり、既に主人公は虚構の世界に入り込んでいるものと考えられる。妻は朝出かけたという割には、部屋は片づけられないほどに散らかっている。妻というのもとっくに出て行ったのではないか。

彼女は食事をしたり、レコードをかけたりして、天丼を食べていた時のように干渉を逃れる。薄く透けたTシャツを着ているのは、場での薄い存在感を示しており、寝る前にTシャツを着替えているのは変装の意味合いがありそうだ。彼女が2階で眠ってから彼が納屋の話を始めているが、眠っているはずの彼女が彼となって演技を始めている。そのため「表情らしいものが無い」と繰り返されていた彼が、納屋の話を始めてからは表情についての記述が増えだすようになる。

彼は紙袋の底からアルミ・フォイルをとりだし、葉を巻紙の上にのせてくるりと巻き、のりの部分を舌でなめた。ライターで火をつけ、そして何度か吸いこんで火がきちんとついていることをたしかめてから僕にまわした。とても質の良いマリファナだった。

マリファナを扱う一連の動作や、20本もビール飲む仕草を繰り返すなど、引き続きパントマイムによる様々な演技を見せつけることで虚構の世界が作り上げられていく。

彼女がまたLPを五枚選んだ。最初の曲はマイルス・デイヴィスの「エアジン」だった。
「グラスがあるんだけど、よかったら吸いませんか?」と彼が言った。
僕はちょっと迷った。というのは、僕は一か月前に禁煙したばかりでとても微妙な時間だった

この3行で起きていることのすべてがおかしい。マイルス・デイヴィスのエアジンといえば「クッキン」か「バグズ・グルーヴ」のB面1曲目に置かれているため、レコードは「裏側」から再生されていることになる。曲がかかると、彼は唐突に主人公にマリファナを勧めだす。誘われた主人公は自らの禁煙状況のみしか考えておらず、犯罪であることは一切気にしていない。レコードがひっくり返った状態でかけられたことで、主人公に倫理観の転倒が引き起こされたかのようだ。

「いいですか、僕はモラリティーというものを信じています。モラリティーなしに人間は存在できません。ぼくはモラリティーとは同時存在のことだと思うんです」
「同時存在?」

人はモラリティーを持つことで、その場所に存在できる。その土地の法を犯せば捕まり、あるいは店などで騒ぎを起こせば追い出される。つまり共通する規則や習慣に従ってこそ、その場に存在できるという話だが、主人公はマリファナを勧められると平気で吸い、法を破ってしまっている。既に規則の境界を認識できなくなった主人公は、社会との接点を失った無秩序状態に置かれていることになる。
彼は続けざまにモラルの定義を語る。

「つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。責めるのが僕であり、許すのが僕です。それ以外に何がありますか?」
ぱちん。

ここで彼は、モラルは自分で定められるという意味のことを言っているのではないか。モラルは社会によって規定されているはずだが、彼の言い分では「責めるのも許すのも僕」であると自己完結してしまっており、モラルや規則が自分で定義できるものとの主張がされている。ここにもあそこにも東京にもチュニスにも、どこであろうが存在できることになってしまう。
この様な無茶苦茶な主張の後に「ぱちん」と音が鳴らされ、何やら催眠や暗示のようなものをかけられてしまう。こうして認識を歪まされてしまった主人公は、現実から外れた道を歩まされていく。

「それも光とか匂いとか、そんなことです。記憶の質が……」「まるで変っちゃうんです。そう思いませんか?」
青っぽい闇と大麻煙草のつんとする匂いが、部屋を覆っていた。妙に不均一な暗さだった。僕はソファーに寝ころんだまま、学芸会の芝居のつづきを思いだそうとしてみたが、もううまく思い出せなかった。

彼はマリファナを吸いながら、「光や匂いや記憶」が変わってしまうと話して(暗示をかけて)いたが、二人が帰った後には、これまで一切触れられなかったマリファナの「匂い」がし始めたり、「暗さ」に違和感を感じたり、学芸会での劇の続きが思い出せなくなっていたりと、感覚や記憶を作り替えられてしまっている。

主人公が納屋の周りをランニングし始めると、これまで「だいたい月1回、多くて2回くらい」会っていた彼女とは「1か月以上」会わなくなってしまう。主人公の意識が納屋へと向けられたことで、彼女との関係が遠ざかっていく。

喫茶店の駐車場で彼の車を見つけるが、ナンバープレートが付いていたり、しみひとつ無かったはずの車体に傷がついていたりと、これまで無かった描写が足されている。こうした変化は主人公の見ている虚構がリアリティーを獲得してきたためではないか。
これまで彼女と彼は必ずセットでいたのに、喫茶店では彼ひとりだけで存在している。彼がいつも厚着しているのは存在の不透明性を示している。チュニスの海老の話をするのは、空港で彼女が食べていた天丼と関係がありそうだが、本当に北アフリカへ行っていたならば帰国後すぐ天丼をチョイスするのはおかしいということだろうか。

彼から彼女がいなくなったと聞かされても、主人公は大して気にとめていないが、執拗に問い詰められると自信が持てなくなり、「わからない」と応え直すようになる。その後、実際に彼女のアパートを訪ねるなどして不在を確かめさせられたことで、彼女の存在は主人公の認識から断たれる。

「すぐ近くにあって」、彼が「下調べに来た」、「あまりにも近すぎる」場所にあり、誰も悲しみもしないという納屋、それは現代社会に疲れ果てた主人公自身のことであり、焼かれた納屋とは、現実との接点を失い虚構の中をさまよっている主人公自身を指している。彼女は消えたわけではなく、主人公の目には認識できなくなった。彼の飲んでいるカフェオレは黒と白の二つの世界が入り混じったことを示唆している。
彼女のいる世界が「現実」で、彼女と彼がいる世界が「現実と虚構」が入り混じった状態であり、彼だけが残った世界が「虚構」となる。彼女は時々納屋を焼き、演技によってボーイフレンドたちを虚構の世界へ送り出している。

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