まん中とまわりの意味(3) ノルウェイの森/村上春樹

1.

「ミドリさんというのはとても面白そうな人ですね。この手紙を読んで彼女はあなたのことを好きなんじゃないかという気がして…」(9章)
日曜日が来ると洗濯をして、直子に長い手紙を書いた。ときどき緑と会って食事をしたり、動物園に行ったり、映画を見たりした。(10章)

9章で直子は、手紙に書かれた緑と渡辺の関係が気になっている。渡辺は10章でも直子に「長い」手紙を書いているが、恐らく文面には引き続き、緑との親しい付き合いが書かれていたことになる。
後にレイコから届く手紙によると、直子の症状はこのあたりから出始めている。

12月に渡辺は再び阿美寮を訪問すると、直子に同居の提案を持ち掛けているが、その理由は「ここは長くいる場所じゃない」という以外に無く、肝心の渡辺自身の想いなどは何も伝えられていない。
また唐突に直子の身体に手を出しては撥ねつけられている。直子から肉体の不通という現実的な問題について問いかけられても、これをはぐらかしてしまう。渡辺には先の見通しなど無いばかりか、直子の症状についても理解が及んでいない。「彼女は少しずつキズキの話ができるようになっていた」などと他人事のように記してもいるが、渡辺の方からは何か話したのだろうか。
引っ越し後にも手紙で同居話の提案を繰り返しているが、ここでも理由は「春だから」「四月だから」という以外に何も無い。直子の症状は阿美寮の訪問後に深刻化している。

「縞の雄猫がいるのですが、これが僕の住んでいた寮の寮長にびっくりするくらいよく似ています。今にも庭で国旗を上げ始めるんじゃないかという気がするくらいです。」(10章)

劇の衣装や時計代わり程度の存在に成り下がっていたはずの国旗が、再び庭(心)に揚げられる光景を思い描いているのは、自身の判断を尊重する態度が失われ、社会規則に依存する体質へと逆戻りしている様相を示している。

緑との交友は疎かになっていき、引っ越しに夢中になるあまり「思いだしもしなかった」などと、信じがたい言い訳をする。電話をかけたり、手紙を出して謝ろうとはしているものの、緑を完全に怒らせた後で、既に取り返しがつかなくなってからのことだ。すぐさま反省してもいるが、相手を傷つけることなど元から分かっていたかのようだ。

続けて「ずっと手紙の返事を待ち続けていた」と気にしている様子でいるのは、直子からの手紙を待っているだけで、緑のことはもう頭にないらしい。それから直子に送った手紙の文面が詳しく記載されているが、豆腐屋やら総菜屋など日常の生活事情が記されているのみで、緑についての話題が無くなっているようだ。

唯一の問題は現実の社会に復帰する勇気を彼女がとり戻すことだという風に思っていたのだ。そして彼女さえその勇気をとり戻せば、我々は二人で力をあわせてきっとうまくやっていけるだろうと。
そして彼女の回復をじっと待ち続けるしかない。(10章)

返事は直子ではなくレイコから届き、直子の様態が悪化したことを知らされるが、渡辺は「何も考えたくはない」と思考を放棄し、自分の行いについては何も反省しない。「唯一の問題」は直子にあると押し付けて、自分とは完全に切り離している。人の問題にしておけば自分は責任を引き受けなくていいし、何も考えなければ自分は苦しまなくて済む。

緑が心を許して渡辺に会いに来るが、関心の無さを見透かされて再び怒らせている。手紙には家を見に来てほしいと書いていたのに、間取りなどを説明しただけで誘う素振りは見せない。
緑は9章で自分の願いをかなえてくれた渡辺を、今度は助けてあげたいと思っているのだが、渡辺は助けを受け取ろうとしてはくれないのだ。しかし渡辺は自分から緑を追い返すような態度を取っていながら、だんだん孤独に耐えられなくなってきている。

2.
これら渡辺の奇妙な行動や心中は、伊東という新しい友達との会話で明らかになる。これまで渡辺は、子が自立して暇していると話す家主、看病も手伝いも無くなり楽になったという緑の話には、一向に関心を示さず聞き過ごしている。しかし伊東が遠距離にいる恋人について話し始めると、今度はずけずけと口を挟む。三者の話への対応を比較することで、渡辺の内心が読み取れるようになっている。

「彼女のことがもうそれほど好きじゃないんだね?」
「それはともかくその人とは別れた方がいいんじゃないかな?お互いのために」

遠距離の恋人の存在を疎ましく思っている伊東に、渡辺は自分の本心を重ねて語っている。表向きでは直子との同居話を進めようとし、緑には突き放すような態度を取っているものの、実際は遠距離の恋人の存在を重荷に感じており、伊東から同じ意見を引き出そうとして気持ちがはやっているのだ。

緑との仲が深まるにつれ、恋人関係に進みたくなる気持ちを抑えきれなくなってきた渡辺は、本心を欺いて直子との仲を強引に進展させようとしているだけなのだ。直子から貰ったセーターを着て恋人役を演じようとしているものの、もはや直子とは責任感だけで結びついた状態にある。
直子への同居話の催促も、これ以上緑に気持ちが引かれていくことを恐れた渡辺の焦りから行われたもので、直子の病状など何も考えてはいない。渡辺と緑の仲が深まっていく様子を手紙で読んでいた直子は、渡辺からの強引なアプローチを受けながら、既に心は自分に向けられていないことに気づいている。渡辺が押し付けた性急なコミュニケーションが、かえって直子の精神に負担を与えている。

渡辺は再び殻を閉ざそうとするものの、ひとり孤独に耐えることも出来なくなっている。3章では「フランスの作家」の本を読む周囲の生徒たちとは折が合わず、フィツジェラルドが好きな永沢とだけ付き合いを持っていたが、フランス文学好きな伊東と友達になるばかりか、実際に本を借りて読み始めている。つまり他者に合わせてまで結びつきを求めるよう変化している。魚料理(ししゃも)を食べて人と触れ合う必要性を取り戻すと、緑との関係性を回復させようと電話をかけるが、それでも「友だち」であると一線を引くことを忘れずに強調する。しかし二人が友人のままあり続けるには限界に達していた。
※フランスや魚料理の意味については別記事主人公の成長について(2)

緑は先に彼氏とは別れている。そして回り道していた渡辺もようやく同じ岐路に立とうとしている。

「彼と別れたわよ、さっぱりと」と言って緑はマルボロをくわえ、手で覆うようにしてマッチで火をつけ、煙を吸い込んだ。
「どうして?」
「どうして?」と緑は怒鳴った。(10章)

渡辺は鈍感なわけでも、照れているわけでもない。緑との仲が進展してしまわぬよう、相手の好意をはねつけて関係性を留めようとしているだけだ。そんな渡辺の心の障壁を緑は破っている。

3.
ここで渡辺はいったん直子との問題を保留にしたまま、緑と愛情を確かめ合うようなことをする。

東京のどまん中にこんなに人気のない荒涼とした場所があるなんて僕には驚きだった。(10章)
高速道路を行く車の鈍いタイヤ音だけがまるでもやのように我々のまわりをとり囲んでいた。(10章)

3章で蛍を放したのは寮の「屋上」だったが、10章では再びデパートの「屋上」へと上がる。緑の父が「東京のどまん中」で震災にも動じなかった話を聞かされていたが、同じく渡辺も「東京のどまん中」に立つ。時代の流れや都会化の象徴である車は「まわり」に置かれ、意識からは切り離されている。こうして3章で手をのばしても届かなかった蛍、つまり自分の魂に、渡辺は再び対峙している。

そのささやかな淡い光は、まるで行き場を失ったのように、いつまでもいつまでもさまよいつづけていた。(3章)
その光は僕に燃え残ったの最後の揺らめきのようなものを連想させた。(6章)
黄色の雨合羽に身を包んだ人々は雨の朝にだけ地表をさまようことを許された特殊なのように見えた。(6章)

過去3つの箇所で「魂」についての記述がされている。
1つ目は屋上で、蛍の光が魂のように見えている。光の色は記されていないが、短編の『蛍』では、同じ場面で蛍が「黄色い光」であると明記されている。
2つ目は阿美寮で、窓越しに映るろうそくの火が魂に見えている。ろうそくの火が白い月の光に照らされているので、ここでも魂の色は黄色っぽく見えているのではないか。
3つ目は阿美寮で、黄色い雨合羽が魂に見えている。

このように蛍、ろうそくの火、雨合羽と、3度登場する「魂の色」はどれも「黄色」に描かれている。揺らぐ光には、渡辺の意識がぼんやり低下していく様子が表されており、無意識に追いやった自分の半面(魂)に近づいた状態にある。

雨は音もなく執拗に降りつづき、それは僕らの髪をぐっしょりと濡らし、涙のように頬をつたって落ち、彼女のジーンズの上着と僕の黄色いナイロンのウィンド・ブレーカーを暗い色に染めた。(10章)
「ねえ、私たちなんだかを泳いで渡ってきたみたいよ」と緑が笑いながら言った。(10章)

渡辺は屋上で「黄色い」ウィンドブレーカーを着て緑と抱き合っている。3章では手をのばしても届かなかった失われた魂が、緑と互いの存在を確かめ合うことで取り戻されていく。雨に濡れることで渡辺の魂が溶かされ、人格の変容過程に置かれている場面となる。3章の蛍は昔見た川とともに思い出されていたが、抱き合った後に緑は「川を渡ってきたみたい」などとも言う。川を渡ることの比喩は、無意識から意識へと一つ認識を渡したといったところだろう。

このように10章では過去に出てきたモチーフが再登場して蛍のシーンがリテイクされている。愛する妻を失って悔しいと子供に話し、自分も後を追うように死んでいった緑の父のように、巨大な社会の中に身を置きながら自分の存在を強く感じるためには、意識的状況を表現し、認識し合える相手を必要とする。

「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔払い方も、なんでも好きだよ」(10章)
「雨の日には蟻はいったい何をしているのかしら?」と緑が質問した。
「知らない」と僕は言った。(10章)

これまでは本心を隠して「普通の人間だよ」などと応えていた渡辺だが、小林書店で緑から「あなたのことを話してよ」と問われると、自分の好きなもの嫌いなものを正直に話し出せている。直子には言うことがなかった「好き」だという感情を伝えることが出来ている。他者からの問いかけに先回りして資本論などを読んでいたが、蟻の生態や進化について聞かれると、正直に「知らない」と言い放つ。
自分と緑をまん中、つまり心の中心に置き、安住できる場所を見出した渡辺は、素直に自分の感情を表現できるようになっている。

最後に、緑から婦人雑誌で覚えた方法で処理してあげると言われると「楽しみだね」と応えている。この対話は同じ章の直子からの問いかけと対比される。性交の代わりに同じような性処理方法を提示されると、直子相手にははぐらかして答えていたが、緑となら上手くやっていけるようだ。

「もし私が一生濡れることがなくて、一生セックスができなくても、それでも私のことずっと好きでいられる? ずっとずっと手と唇だけで我慢できる? それともセックスの問題は他の女の人と寝て解決するの?」
「僕は本質的に楽天的な人間なんだよ」と僕は言った。(10章)
「私ね、いろいろとやり方知ってるのよ。本屋やってる頃ね、婦人雑誌でそういうの覚えたの。ほら妊娠中の女の人ってあれやれないから、その期間御主人が浮気しないようにいろんな風に処理してあげる方法が特集してあったの。本当にいろんな方法があるのよ。楽しみ?」
「楽しみだね」と僕は言った。(10章)

10章での緑とのやり取りには、渡辺が辿ってきた成長の振り返りが認められる。しかし渡辺は一つだけ重要な問題を避けている。緑と直子との間で板挟みになりながら、自分の心中をどちらにも正直に打ち明けようとしないのだ。そのため緑との肉体の結合も保留されたままとなっている。
また黄色い服が「ナイロンのウィンド・ブレーカー」と防水されていることには、緑と抱き合いながらも魂の混じり合いには至っていない印象を受ける。渡辺が責任を取ろうとせず、問題を先送りしたことによって、物語はもう一巡りすることになる。

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