※はじめに
この小説を読み解くには作中の様々なモチーフや象徴的行為の意味を明らかにしていく必要がある。そのためには作中の複数の箇所から同様の表現を引っ張ってこなければならないのだが、それらが作中の至る所に散りばめられているどころか、ほぼ終盤近くになってようやく重要な記述が出てくる、という例が少なくない。それで序盤の一点を説明するにも中盤ひいては終盤の出来事にまで触れなければならなかったりする。加えて私の力量不足というものもあって、この作品を1章から順を追って説明する、ということができない。ときには回答が不十分のまま後の記事で説明していくところもある。そもそも全貌が理解できているわけでもない。解説を読むにも負担をかける様で申し訳ないが、作品が難解かつテーマも多岐にわたる分、魅力と面白さを備えた内容でもあるので、興味のある方はお付き合いいただければ幸いです。
1章には作品を読み解くための重要なキーワードがふんだんに詰め込まれていて、この章の細部を集めるだけでも作品内のテーマが一通り揃うようになっている。
この書き出しの文は主人公が「観察」に努めようとしている様子を表している。主人公は自分の置かれた状況を的確に把握し、その場に適した態度を取るよう注意を払いながら、馴染まない場所にもなんとか自分を適応させようと意識し続ける。広く、パネルの類いもなく、無音という奇妙なエレベーター内で、目視できない監視カメラについて考えたり、カメラの奥にいるであろう観測者の存在など様々な可能性を想定しながら、自然な振る舞いをしようと心がけるのだ。1章と3章ではこのような配慮的な姿勢がひたすら描かれていく。
後に博士から「人間の進化にとって音声は不要」「音声は消滅する」(5章)と聞かされることになるが、無音のエレベーター内に置かれた主人公は、一時的に進化した人類としての体験をさせられていることになる。ここで音の無い奇妙な状況に置かれた主人公がどのような対応をしていくのかが序盤の重要なポイントになっているのだが、主人公は無音どころか操作パネルも無いエレベーターに乗せられ、次には声を発しない女に命じられながら、きちんと仕事をしに研究室までたどり着けるのだ。つまり音が無い環境にも適応していけることを、その身をもって証明していくことになる。こうした目ざとい観察力、高い同調性や適応力、そして人の顔色をうかがい他者の意に沿って行動することにも疑問を覚えないような主体性の無さこそ、主人公が博士から選抜された理由でもある。
なお、音が無くなれば歌も無くなってしまうことが物語における重要なキーとなっている。音は意思疎通を図る伝達手段としてのほか、怒り、悲しみ、愛情などといった言葉を用いての感情表現に用いられる。自然の音や動物の鳴き声などは、心に詩情を呼び起こす。すなわち音の消滅とは人間にとって心的活動の危機であり、心の消滅にも等しい。心を持たない者が住む街も「静けさ」を特徴としている。
無音のエレベーター内で不安を感じた主人公は咳ばらいをしたり、口笛でダニーボーイという曲を吹くなどして本能的に音を発しようとする。物語終盤でも同じ曲を吹くことで頭骨を光らせることになるが、この時点での発声はまだ何の意味も成さない。
無音のエレベーター内で、主人公は自分の置かれた状況を映画や絵画の登場人物に置き換えて考えている。また小銭の計算をする際にはボクサーがするトレーニングの類似行為に例えている。不安を覚えると、映画の主役になったつもりで自分を励ましている。
この主人公は何かにつけ他人のフリをすることで人生を「演じている」ばかりの人物であり、いつも借り物の姿で間に合わせて自分の心を用いようとはしない。感情を切り離して自分を眺めることに慣れきっているため、生き生きとした体験を味わうこともない。自分自身の心と真剣に向き合う気が無いのだ。こうした逃避や空想という悪癖こそが、無意識のなかにもう一つの世界を形成するに至った根本的原因と呼べるものであり、生の実感の乏しさをもたらしている。現実よりも空想の世界に心を向けているために、本来の自分の感情というものも見捨てられてしまっているのだ。
次に主人公は気を取り直して、右ポケットと左ポケットに入れた小銭を使った計算トレーニングをしている。
この両手の計算は、作中での様々な両手を用いた表現とあわせて考えると意味が明らかになるように、一人で自作自演の構造を作り出し、閉じた世界に充足している主人公自身の生態を表現している。右手と左手はそれぞれに作業をしながら、ハードボイルド側の「私」と世界の終り側の「僕」のように、互いの存在を知らない。しかし両の手は一人の統治者である主人公によって操られ、併せられている。二つの世界を通じて主人公がどのように充足を得ているかは後に明かされることになるが、主人公が自分で作りだし安住していたこの楽園は、小銭の計算を間違うことで表現されているようにこれから崩れ始めていくことになる。
両手の計算トレーニングは、「洗い出し」という計算方式にも応用されている。「洗い出し」では数値を変換するために右脳と左脳を別々に用いているようなものであると、主人公は説明している。主人公が計算を得意としているのも、二つの世界を行き来しながら、両方の意識を上手く併せる技術を独自に開発しているためだ。またシャフリング被験者で唯一生き残った理由にも深い関わりをもっている。
私はポケットに両手をつっこんだまま、しばらく黙って廊下を歩きつづけた。(19章)
シャフリング被験者のうち自分一人だけが生存者であると聞かされたときも、主人公は両手をポケットに入れている。こうした動作もまた、二つの意識を左右のポケットに置き換えて表現したものといえる。
この一文はかなり違和感がある。計算のミスをしたのが「三年間一度もないことだった」と述べている以上、三年前にはミスしたことがあったということになるが、その直後に「ただの一度としてないのだ」などと続いている。主人公は三年前のミスは除外して考えているか、あるいは三年前とそれ以降とに一つの区切りを置いているらしいのだ。本来であれば「三年ぶりに間違えた」もしくは「三年間間違いはなかった」と述べられるべきではないか。
しかし主人公が「ただの一度もない」と捉え、三年前のミスを除外しているのは理由がある。ちょうど三年前に重大な出来事が起きているためだ。
三年前とはちょうど主人公がシャフリングの実験を受けた時期にあたる。さらに新聞を読むのを止めたのも三年前だという事実は、シャフリングの脳手術を受けて以降、一般社会への関心を失い、世間との関わりを断ったという生活様式の変化を意味している。これは脳手術により、脳に「分厚い皮」(11章)「感情的な殻のようなもの」(19章)が与えられ、意識と無意識との干渉を塞がれたことに理由がある。
というわけで私はできるだけ便宜的な視点からものごとを眺めようと心掛けている。(1章)
主人公から見えている世界は、コーヒーテーブルのように平坦で膨らみを持っていない。彼は物事を便宜的に考えて、つまり自分の価値観を狭めて、限定された見識の中でしか生きようとしていない。巨大な壁を築いて外界と距離を置き、ものの見方を制限しているために多くの可能性が締め出されてしまっているのだ。
「人は欠点を正すことはできないのだ。性向は二十五までに決まってしまう」(15章 主人公)
「たぶんあなたには自然の抗体がそなわっていたのよ。私の言う感情的な殻のようなものね。(19章)
組織や主人公は、「意識の総体は変化しない」「欠点を正すことはできない」などと、意識の発達が一定の年齢で止まってしまうものと捉えている。そして組織が想定したシャフリングを続けられている主人公自身もまた、様々な可能性を締め出して、意識に変化も拡大も起きようもないような閉ざされた生き方をしていた。主人公だけが生き残った理由も、「分厚い皮」「殻のようなもの」を与えられるまでもなく、ひとりでに限定された世界を作り上げていたためだ。この閉じた世界を破って可能性を押し広げていくことが、主人公の命題となっている。
音を吸い取るようなエレベーターの次には、声を発しない女が現れる。太った女は3度口を開いている。たまたま読唇術を習っていた主人公は、はじめに「プルースト」と読み取ると、聞き返したり考えを巡らせながら正しい答えを模索するが意味は分からない。次には「たつせる」と読み取ると、反復して女に確認をとってみるが、やはり意味は分からない。その上、太った女から「彼女は確信を持って繰りかえした」と強い態度を示されると、何も言い返せずにいる。
もちろん私は肯いて中に入った。(1章)
最後に部屋の前に着き、「そむと、せら」と言われると「もちろん私は肯いて中に入った」などと、意味は分からずとも黙って相手の指示に従うのが当然であるかのような行動をとる。このように段階を踏みながら従属的な対応を取る姿が決定的に描かれていく。主人公は自分の置かれた状況を「異常」であると認識し、「不安」まで覚えていながら、疑念を飲み込み、あくまで周囲の状況に自分を適応させる方を優先するのだ。本来覚えて当然であるような疑問は押し殺され、自分の意志は示そうとせず、無条件に相手に従うことを選ぶ。この先で語られることになる進化の過程などにも逆らう力を持ち合わせていない人物であることが、1章の時点で分かる。
こうした主体性をもたない行動の数々は「私はただ与えられた正当な職務を果すためにここに来ただけ」(1章)という言葉にもあるように、仕事の遂行が何より優先されるサラリーマン的対応に徹しようとしているためでもある。
一週間ののちに彼らは一頭たりとも残さず完全な金色の獣に変貌していた。(2章)
ここまで見てきたような「私」の行動様式は3章でも引き続き示されていくことになるが、1章と3章に挟まれた2章での獣の行動においても同様の構造が描かれている。獣たちは角笛という伝達手段で一斉に規律正しい行動をとる。獣たちの行動は規則で「決まっている」ことだと、門番(2章)や大佐(22章)や図書館の女の子(26章)は口を揃えて説明している。獣の営みとは全体主義に沿い、形式や同調にはめ込まれて行動するものであり、自由意志は認められない。獣などと呼ばれていながら獣性を欠いた存在として描かれ、「思いおもいの色の毛皮」に身をまとっていた獣たちが、みな「金色」に変わっていくのは、社会が求める様式に合わせて人々が統一化されていく様子を描き出している。
獣とは群衆化されたハードボイルド側の主人公を指しており、社会の因習に従うことで、考えることや心を持つことを必要としなくなった様式を表している。このような仕事の遂行は作中で「穴掘り」と名付けられているが、穴は「無意識世界への通路」を意味する重要なキーワードとなっている。
主人公は「倍率の高いテスト」(11章)を通じて、つまり初めは獣らしく戦い抜くことで計算士の資格を取得している。評判も良いらしく稼ぎもあり、社会的にはエリートと呼べる地位におさまっている。しかし主人公の戦いはその成果を得たところで終わってしまい、後は「何も考えない」でただ惰性的に社会に順応しているばかりで、自らの心を働かせる機会を持たずにいる。この「獣が戦う一週間」というのは、職を手に入れるための競争に限ったものではなく、決まりきった生活様式に収まるまでの期間を指すものと捉えた方がいいだろう。
「そういうこともたまにはある」
「それともお金で女の子を買うの?」
「それもある」(5章)
主人公は特定の女性と関係を築こうとせず、心のすべては内界にある街の中に向けられている。しかし性欲を排出する手段として、一時の肉体関係は持たねばならない。
「わかると思う」(9章)
一角を備えた獣は自我を壁の外に運び出す役割を与えられているが、これは主人公の性欲(=欲動、生命エネルギー)を排出する行為に対応している。
獣の頭骨には古い夢が刻まれているが、この古い夢は光と熱を放ち、夢読みの目を傷める(22章)。光と熱が「意識」を意味していることについては次回で解説するとして、夢読みが光を放出しているのは自らの意識の働き・心の作用を意図的に鎮める行為にあたる。
上の引用からは主人公の性に対する捉え方が明確に読み取れる。主人公にとって性行為とは「身体」活動の域にとどまる行為に他ならず、性欲の排出以外の意味を持っていない。心の作用や愛情というものは全く関与していない。
主人公は無意識の中に作り上げた街での生活に心を向け、現実社会の出来事に対しては意識的に取り組もうとせず、自我の伴わない穴掘りのような仕事を続けている。こうしたスタイルが「ハードボイルド」側の私と「世界の終り」側の夢読みによる連係プレーによって成立している。無意識の世界に埋没して現実世界では心が用いられなくなるこのサイクルの完成こそ、世界の終り側で「心を無くす」と言われている言葉の意味となる。
「あんたはその世界で、あんたがここで失ったもののすべてをとりもどすことができるでしょう」(25章)
主人公は無意識内に作り上げた街の中で理想の女性との暮らしを築こうとしている。彼女は主人公にとって都合が良く、押し付けがきく相手で、現実では失った望みを全てかなえてくれるというのだ。
主人公は7章で過去にただ一度だけ寝たという関係の女を思い返している。このとき女の太り方を褒めてもすげなく返されてしまっているのは、たしかに主人公は表面的・一面的には褒めてはいるのだが、心から関心が寄せられてはいないことを女に見透かされているためだ。
しかし空想の街でなら、そんな主人公の態度に合わせてくれるような女性を作り上げられる。女を褒めるエピソードは6章と7章で対になるように配置されていて、主人公の態度を両面から照らし出している。夢読みとして初めて夢を読んだ後の帰り際に、主人公は女の髪を褒めている。
「わからないわ」「あなたが私の髪をほめたというのはわかるわ。でもほんとうはそれだけではないのね。私の髪があなたの中に何かべつのものを作りだして、あなたはそのことについて何かを言っているのね?」
「違うよ。僕は君の髪の話をしているんだ」(6章)
髪を褒められることについて、心を持たない図書館の女の子はどのような気持ちを抱くものか「わからない」と正直に答えている。それでも彼女は、「何かべつのものを作り出して、あなたはそのことについて何かを言っているのね?」と尋ねているように、褒めるという行為の中には、なにか心の働きが伴うものであることを認識してはいるのだ。
これに対して主人公の方はあくまで髪の話をしただけで、それ以上の意味は含まれていないと心の関与を否定する。主人公にとって褒めるという行為は、客観的な事実を指摘する以上の意味は持たされていない。主人公は初めから心を用いるつもりも、相手に心を寄せるつもりもまったくないのだ。
そしてその後に続く「かまわないよ。そのうちに慣れる」という言い分からは、彼女の側に歩み寄りを求め、自分の考え方に合わせてもらうことを前提とした一方的な押し付けがみられる。この空想の街においては女の方が好意を寄せてくれることが期待されているわけだ。
この会話の前には「心が無い」と話す図書館の女の子相手に、主人公は「風と同じさ」などと指導者気どりで心についての説明をしていた。しかし心を理解しようと努めているのが実は女の方であって、主人公の方こそ心が使われていないのだ。終盤で主人公が心を通わせるようになって初めて褒めるという行為に意味が与えられるようになっていく。
「ねえ、知ってる?」と彼女は言った。「私、ほめられるのって大好きなの」(37章 胃拡張の女)


