1.
セイレム塾でスティアフォースと船の家の人たちが引き合わされた重要な場面は、デヴィッドの記憶に特に印象付けられている。デイヴィッドはスティアフォースにも船の家の人たちにも、同程度の敬意と賞賛を持って接している。そして、両者への尊敬の念は後も変わり続けることは無い。
卒業後のデイヴィッドと再会し、船の家に招待されたスティアフォースは、自分の魅力にすっかり取り入られている舎弟のデイヴィッドが、自分への忠誠と同等の評価を、下層階級の労働者たちへも抱いていることが気に入らなくなっている。デイヴィッドが船の家の人たちを褒め上げると、彼は対抗心を起こしてハムを貶し、自分と彼らのどちらが優れた人間か、優劣の判定を迫っている。
ヤーマスでのスティアフォースは、船の家の人々や、近隣の漁師や住人たちともすぐに打ち解けている。大学にも出世にも興味を持てずにいたスティアフォースが、ヤーマスでは船を乗り回し快活に過ごす。ここでもスティアフォースの魅力は彼らを虜にしていくが、彼らと営みを共にするうちにスティアフォースの心はほだされていき、それまで彼の行動原理となっていた優越感を得るためのゲーム、という動機は揺らぎ、疑問へと変わっていく。スティアフォースは母の指導によって育まれた、人に取り入り、人の上に立とうとする性質の欠点を自覚し、悔やむ姿をデイヴィッドに晒している。
「こんな僕などよりはね、この貧しいペゴティーの方が、あの朴念仁の甥の方が、いくら幸福だかしれやしない!」(22章)
「別れ離れになるようなことがあってもだよ、僕のことは、僕の一番いいところで考えてくれたまえ、ね!」(29章)
初々しく自分を慕ってくれるデイヴィッドをデイジーと名付けて呼び、自尊心を満たすために率いていたスティアフォースだが、最後の対面において二人の関係は逆転している。彼はデイヴィッドに名づけと評価を請い、人間性の判定をデイヴィッドの良心に委ねている。というのもデイヴィッドに取り入り、従属させたつもりでいたスティアフォースは、知らず知らずのうちデイヴィッドに取り入られてもいたためだ。デイヴィッドの影響を受け始めたのは、読んだ本の話をさせていた7年前のセイレム塾時代にさかのぼる。
デイヴィッドはマードストン姉弟によって支配された息苦しい家庭で過ごした時期を、父の残した書物を読むことで押し潰されかけた心の危機を切り抜けている。デイヴィッドは小説の悪役にマードストンを当てはめるなどして現実から逃避し、空想によって作り出した世界の中で好きな役割を演じて生きている。少し先の「絶望ばかりに充ちた」という下働き時代には、空想癖も頻繁に記されるようになり、デイヴィッドに根付いていく。この時期のデイヴィッドは同年代の子らとの付き合いを避け、フィクションの世界に引きこもり現実に抗う。叔母ベッチーは、父の空想癖や思い込みを「デイヴィッドコパフィールド式」と呼んでいたが、父の書物が親子を繋ぐ役割を果たし、子のデイヴィッドにも同じ性質を継承させている。
毎日見る街頭や、男女の印象から、いろいろ、勝手にお話をこさえ上げていた。
以下この自伝を綴っていくうちに、おそらく、無意識に出てくるであろう、その性格の主な特徴は、このときすでに、徐々としてではあるが、形成されかけていたのである。
そしてセイレム塾ではデイヴィッドがスティアフォースに、読んでいた本の話を聞かせていたのだった。スティアフォースはデイヴィッドの話を大変好んで、母を亡くした日以外は休ませずに毎日語らせている。しかもデイヴィッドは、自分の解釈で読んだ作品の内容を勝手に改竄して語っていたというから、スティアフォースはデイヴィッド流の道徳を潜在的に吹き込まれていたことになる。スティアフォースはヤーマスの住人たちとの交流によって突如懐柔されたのではなく、その遥か以前、セイレム時代からデイヴィッドによって根底は揺るがされていた。それゆえ彼の審判役はデイヴィッドに託されるのだ。
自尊心が揺らぎ、地位も金もないハムの方がよほど幸福だとデイヴィッドに漏らすスティアフォース。これまで築き上げてきた、あらゆる長所や魅力が、船の家の寄せ集めのような家族が見せる愛情に劣るなど、高慢で負けず嫌いな彼にとっては耐え難いことであったに違いない。スティアフォースはデイヴィッドや船の家の人々が賞賛しているエミリーを奪うことで、ハムよりも優る力を持つことを、周囲にも自分自身にも示している。
2.
クララと結婚し一家の主となったマードストンは、デイヴィッドにペゴティーとの付き合いを禁止させている。
マードストンは中産階級に属する彼らと、召使の間に親和性が築かれることを認めない。彼は異なる階級間での正しい付き合い方を示し、本来あるべき関係性に正すようデイヴィッドに言いつけ、ペゴティーと引き離す。マードストンは続けざまにクララにも念押しし、デイヴィッドが召使と付き合うようになった原因はクララにあると注意を促している。
私と母とペゴティーと、お互いすべてをかけて、一つに睦びあっていた(8章)
デイヴィッドがペゴティーやヤーマスの人たちに尊敬を抱き、深い絆で結ばれているのは、マードストンの指摘した通り、ペゴティーも居間に呼び家族として分け隔てなく扱っていた、クララの教育方針によるものだ。
2章でデイヴィッドは、幼児だった頃の正確な記憶が残り続けているのは、若さ、優しさ、喜びを見出す能力が失われなかったためだと、彼の性質を作り上げたクララとペゴティーからの影響や、互いの信頼感について語っている。
クララの柔順な性質を受け継いだデイヴィッドは、スティアフォースの本性を見抜けず彼に取り入られ、裏切られることになるが、デイヴィッドの素性深くまで入り込んだスティアフォースもまた、ヤーマスの人々との触れ合いによって大きく人生を変えさせられている。スティアフォースの信条や見解を打ち負かし、彼を母と分断させるに至った考えは、コパフィールド母子に受け継がれた志向に由来する。そして最終的にはスティアフォースが彼の母の教えに従うことを拒んだことによって、クララがデイヴィッドに施した教育が立派なものであったことが実証されている。