1.
ストロング博士の学校を卒業したデイヴィッドは、「幼き日の経験などは用が無い」と生まれ変わりを告げ、「独立した青年」となる希望を抱いてヤーマスと故郷のブランダストンに帰還する。旅の途中では、かつて浮浪者のように歩いた道を見下ろし、セイレム塾で受けた体罰を思い出しては憤慨し、御者や給仕人らには自身を大人ぶって見せようとする。スティアフォースの母から対等に扱われると、のぼせ上って喜び、オーマーやペゴティーにも成長ぶりを堂々見せつけている。
しかしオーマーの店で働くエミリーを前にすると、彼女の前に姿を現すことが出来ない。
オーマーによると、この頃のエミリーは美しさをもてあまし、自惚れが過ぎるせいで、周囲の女たちからは浮いているという。そんな話を聞かされたデイヴィッドはエミリーと顔を合わせられないまま立ち去ってしまう。
2.
幼年時代に船の家で、エミリーと置き戸棚の上にぴったり並んで座り、つがいのツグミの雛みたいだと言われては喜んでいたデイヴィッド。しかし二人の考えには既に大きな違いがあり、デイヴィッドは成長の過程で、徐々にエミリーに置き去りにされていく。
父を亡くしたという共通点を見つけて喜ぶデイヴィッドだが、エミリーは母も亡くしており、二人の身分の差についても言及する。エミリーはダンやハムを海で亡くすのではないかという不安にとらわれているが、デイヴィッドは母と「これからもその通り暮らすつもり」だと、将来に不安も不満も何一つ覚えない。「来年などというものはなかった」「年をとることも全く考えなかった」と、子供時代の幸福が永遠に続くことを信じている。
セイレム塾では、面会に来てくれたダンとハムから「エミリーが女になりかけてる」と聞かされると、その夜考えを振り払おうとするが、二度目のヤーマスで娘ざかりにいるエミリーを目の当たりにするとデイヴィッドは声をかけられずにすれ違ってしまう。エミリーが以前と違って親しい態度を見せてくれなくなったことにも、気を揉んでいる。デイヴィッドは以前と同じような、子供じみた言葉で愛を語っているが、今度はエミリーに軽くあしらわれてしまう。
はるかに年上、はるかに分別でもありそうな顔をして、「まあ、お馬鹿さんね」などと、私のことを言うのである(10章)
それでもデイヴィッドは、ペゴティーの結婚式の日に幼稚な空想などして、エミリーといつまでも子供の世界で暮らすことを夢見ようとしている。
それからエミリーと再会するまでには7年の開きがある。エミリーはハムと婚約し、貴婦人になる夢を諦めかけていたのだが、一方でデイヴィッドの恋愛観や、女性を見る目は養われぬままだったのだ。
3.
18章で足早に語られる学生生活では、デイヴィッドが二人の女性に恋し、破れた顛末が語られている。ミス・シェパードという生徒と恋に落ち、相変わらず「死んでも悔いは無い」などと言っているが、果たしてこの女性のどこに惹かれたのか、もっともらしい理由は何もあげられていない。年ごろの青年が恋愛に興味を覚えたものの、ひたすら一人で浮つき、理由が分からぬままに別れている。
同年代の女性に失望すると、今度は遥か年上のミス・ラーキンズに恋をしている。大人の社交界や身分ある相手に憧れ、背伸びしようとするが、終始子ども扱いされたままで、まるで相手にされていない。
デイヴィッドは、ミス・シェパードのことを「一生の幻であり、目標である」とまで呼んでいるが、作中で通り過ごされるだけの失恋にしては、いくらなんでも誇張が過ぎる。続けてデイヴィッドは、別れた理由が今でも分からないと述べている。さらにはミス・シェパードだけでなく、同年代の女性すべてに興味を失い、恋愛を諦めてしまっている。
学生のデイヴィッドが恋愛を挫折してしまい、思春期のプロセスを踏めずにいるのは、マードストンに誘惑され将来を不幸なものとされた母クララの辛い思い出が後を引いているためだ。若く無分別な女心に付け込んだマードストンの姿は、母の死へと結びつけられている。マードストンはクララの美しさをもてはやして、移り気な女心を惑わし信用を得ると、結婚後も姉とともにクララの美しさを理由にあげて家庭内での発言を封じている。
そのせいかデイヴィッドの愛の言葉には、女の容姿を褒めたり、おだてたりしないといった特徴がある。デイヴィッドがアプローチをかける相手にはエミリー、ミス・シェパード、ミス・ラーキンズ、ドーラ、アグニスがいるが、一度も相手の美しさを褒めたことはない。ただひたすらに自分の愛の深さや感情やらを、愚直に伝えようとするのみだ。38章ではドーラに宛てた恋文がスペンロウ氏に見つかってしまい、文面の一部が記されるが、手紙でも「私の愛する、大事なドーラ」などと独白的な調子で、ここでもドーラの美しさについては触れていない。
ただ一度だけ、ドーラの美しさを褒めるつもりで、口説き文句を用意して挑んでいるが、ついぞ口には出せずに終わっている。結局プロポーズも「あなたがいなければ、死んでしまう」などと相変わらずの言葉でしている。
デイヴィッドがミス・シェパードばかりか他の女学生との交際も諦める要因となったのは、彼が子供じみた恋愛観を引きずり、年ごろの女性が恋愛に求める感情とは折り合えなかったためであったと推測できる。デイヴィッドには、マードストンがクララを喜ばせるために用いた「綺麗な」「チャーミングな」、などという言葉を口にすることが出来ないのだ。そのためデイヴィッドはミス・シェパードに振られた反省を生かして、女心の歓心の買い方を覚えることもなければ、新たな交際も模索しようとしない。
ミス・シェパードと「甘い言葉など、何一つ交わしはしない」と語るデイヴィッドは、自分でもふさわしくないと感じる贈り物をしたことや、彼女から「じろじろあの人に見られたくない」と言われたなどと振り返っている。これらデイヴィッドがとった行動は、10章でバーキスがペゴティーに求婚する際とったアプローチと瓜二つなのだ。バーキスも変わっている贈り物を数々置いていき、傍で「じっと眺めている」だけであった。バーキスの求婚振りについて「実に変わっていた」などと、いぶかしむデイヴィッドだが、その後には彼自身もエミリーに「僕は、もうほかの女の人など愛することはできぬ」云々と、上述の告白して冷やかされている。
バーキスが取った奇妙な行動とは、無学な彼が言語での伝達手段を持たなかったためだが、愚直な愛の告白を封じられ、装飾された言葉で相手を褒めることも出来ないデイヴィッドは、バーキスを手本として彼の行動をなぞってしまっているのだ。
またミス・シェパードはジョーンズという男の方がいいと言ったらしいが、デイヴィッドはこの男をただの能無しだと見下げている。彼女が本気で言ったにせよ、ただの当て付けだったにせよ、ジョーンズは何かしら女の気を引けるアプローチができていたはずなのだが、デイヴィッドはそれを未だに認めようとしていないように見える。
この失恋エピソードからはデイヴィッドが学生時代に、年相応の女性と、年相応の恋愛を経験することが出来なかったばかりでなく、成人して語り手となった今でも、若い女を喜ばせるような甘い口説き文句が扱えず、子供らしい愚直な恋愛以外に理解が及んでいないことが窺い知れる。ミス・シェパードとの破局が、「一生の」などと誇張されているのは、恋愛経験のつまずきが人生における重い課題であることを、デイヴィッド自身が自覚したためだ。そしてその背景には幼年時代、母がマードストンにおだて上げられ、奪われていった過程を目の当たりにした暗い過去がある。
同年代の女性と恋を結べないデイヴィッドは、思春期をすっ飛ばして、彼にとって未知の年上女性であるミス・ラーキンズに救いを求めようとしている。デイヴィッドの妄想では、ラーキンズの父にいきなり財産を与えられ結婚も認められるなど、彼の課題である恋愛の過程が省略されているせいで現実味はまるでない。「まだ17歳だがいずれ21歳になる」などといった突飛な発言からは、早く大人になりたがっているだけでなく、思春期の問題を棚上げしたがっている意図が見える。
この逃避願望は、24,25章でローザ・ダートルを密かに恋人候補にしていることに、そっくり引き継がれており、卒業後も克服されぬまま後を引きずっていることが分かる。ラーキンズもローザも、どちらも30歳前後であると見られている。
4.
クララがマードストンに魅了され、後の人生を委ねてしまうと、デイヴィッドは母も家庭も奪われ将来を不幸なものにされていく。それでいてデイヴィッドは、恋に入れ込んだ母の美しさについて回想する。マードストンから美貌を誉められ、気を良くする母が「娘みたいな無心の美しさ」だったと。デイヴィッドは過去への未練から、まだ無垢なエミリーや、無垢のままようなドーラに惹かれていき、語り手となって過去を振り返るようになっても、幼年時代にエミリーと結んだ無心で無邪気な恋心を、最上の愛として扱い続けたままでいるのだ。
7年ぶりに再会したエミリーは、かつて彼の愛の言葉を受け入れてくれた子供のエミリーではなくなっている。彼女の前に出て行けず立ち去ったデイヴィッドは、船の家で改めて再会を果たしているが、この時はスティアフォースが一緒にいる。スティアフォースが同行していることには重要な意味がある。デイヴィッドはスティアフォースといる時はエミリーと向き合えるのだが、彼がいないとエミリーとの対面を避けようとするからだ。