1.
ストロング博士の学校で17歳まで過ごしたデイヴィッドは、成績は最下位から首席となり、喧嘩相手を打ち負かすほど肉体的にも成長を遂げている。生徒の代表として、肉屋ひきいる労働者連合と階級闘争のような争い事をしているが、これには彼の属する階級や格差への意識が反映されている。二人の女性に情熱を向けていることからも、エミリーとの身分や進路の違いは、この学生時代で徐々に意識されていき、幼き日に願った結婚などの非現実さも次第に自覚されていったのではないか。
ストロング博士は学校とハイゲートに転居後での二度に渡って、カラスに見守られる姿が描かれている。父デイヴィッドは引っ越し先の家にカラスの家と名付けるも、カラスなど住んでおらず、思い込みだけに終わっているが、ストロングはデイヴィッドの家庭に欠けていた父の役割を補ってくれるような導き手となってくれ、デイヴィッドに慕われている。
妻アニーもデイヴィッドのことが「お気に入り」だと、16章と36章で繰り返し好意を持っていることが記されているが、その理由とは父の代わりとなってくれたストロングを慕うアニーが、デイヴィッドも同様の敬意を抱いているのを感じ取ったためではないだろうか。ストロングの人を疑うことを知らず、嫌とも言わない性質は、デイヴィッドの父母とも共通している。
しかし名誉や自立心を育む学校の規律はデイヴィッドを立派な青年にしてくれても、デイヴィッドの恋愛観、結婚観までは養うことが出来なかった。というのも、ストロング自身が年齢的に不釣り合いな結婚をしたことによって、模範的な家庭を示せていないからだ。
アニーはデイヴィッドのことがお気に入りらしいが、デイヴィッドにはそのような感情は見られない。入学してすぐにデイヴィッドはアニーの不貞を疑うことになり、二人の会話は作中に記されないなど一定の距離が置かれている。アニーが「若く」「美人」であると繰り返されることには、母と同じ過ちを犯すのではないかと案じるデイヴィッドの不信の様子が窺える。
2.
7年ぶりのエミリーと対面できず、おめおめと立ち去ったデイヴィッドは、船の家で改めて再会を果たしているが、この時はスティアフォースが一緒にいる。他にデイヴィッドがエミリーと話しているのは、ハムと歩くエミリーとすれ違う場面があるが、この時もスティアフォースが一緒にいる。
ヤーマス滞在中、デイヴィッドが単独行動する時は故郷の家周辺をめぐっているが、「そこから渡し舟に乗り、船の家に寄るとスティアフォースが待っていて一緒に帰っていた」(22章)と詳しく説明されているから、船の家でエミリーと会っていた場合もスティアフォースがいたことになる。
一方、スティアフォースがいないとオーマーの店でエミリーの前に出て行けなかったり、エミリーがバーキス家に来ているのを知ると家の中に入るのを嫌がっている。バーキス危篤の際にもヤーマスへ行くのに、駄目元でスティアフォースに同行を求めている。断られたデイヴィッドはオーマーの店で情報を仕入れ、ダンも家にいることを確認してから出向くことでエミリーと二人で会うことを逃れている。また、ここでは屋根裏部屋でうずくまるエミリーを見て見ぬ振りをしている。バーキス埋葬後には、何の用もないローストフトへ向かうなど時間を潰してから船の家に出向いていく。
つまりデイヴィッドがエミリーと向き合えるのは、スティアフォースが一緒にいる時であり、スティアフォースの後ろ盾が無いとエミリーとの対面を避けたがるのだ。
二人はヤーマスに来る前、スティアフォースの自宅で一週間を過ごし、友情をはぐくんでいる(20章)。デイヴィッドはスティアフォースに玩具のように扱われるのが嬉しいと、彼を兄貴分のように慕う。スティアフォースの世慣れた振る舞いや、身のこなしに憧れるデイヴィッドは、自分のことを紳士や大人へと押し上げてくれる指導者や目標のような存在として仰ぎ見ている。
デイヴィッドはスティアフォースが傍にいてくれることによって、自分も紳士や大人であるかのような優越感を得た気になり、直接対面できなかったエミリーとも向き合えているのだ。
船の家でハムとの婚約を聞いたデイヴィッドは、「心から喜んだ」「苦痛に変わりかねないものもあった」と、過去を名残惜しむと同時に、二人の未来を祝福する気持ちも芽生え始めており、成長の痛みに直面させられているが、言葉に詰まるデイヴィッドの代わりにスティアフォースがこの場をとりなしてしまう。その後エミリーと昔話をする場面でも、デイヴィッドはスティアフォースの目を意識している。デイヴィッドはスティアフォースの威を借ることで、自信や、理想の自己像を保ち、エミリーや過去の物事と向き合っている。
22章でブランダストンに帰ったデイヴィッドは、昔の思い出に取り付かれたように変わり果てた故郷の家周辺を彷徨い、「いつも、悲しみとも喜びともつかない、妙に複雑な気持をいだいて、故郷の地を立ち去りかねる」というが、その後には「スティアフォースと一緒に、赤々と燃える暖炉のそばで、楽しい夕食の席につくと、ほんとに、それが、楽しい思い出になるのだった」と述べており、ここでもスティアフォースを指導者として妄信することで、幼い日々への執心を、将来の野心に昇華させているのが分かる。
そもそも、この故郷への旅は叔母ベッチーの発案によるもので、「デイヴィッドが独立の意思を持ち、自分で行動できる人間になること」(19章)を目的として送り出されたのだった。幼年時代を過ごしたブランダストンとヤーマスで、自分の過去と向き合い精神を独り立ちさせたい、そんなデイヴィッドにとって、エミリーとハムの結婚は絶好の成長の機会となったはずである。
そのためにも叔母はデイヴィッドに一人旅をさせ、その意図も説明していたのだが、彼は途中で会ったスティアフォースにむざむざ付き従う。スティアフォースに会う前のデイヴィッドは、御者や給仕に尊大ぶった態度をとるも、たちまち見透かされ恥をかいているが、この若気の至りのような失敗を積み重ねることで、彼は自然な身ごなしを学習したであろうし、叔母もそのような経験を積むことを望んで送り出したはずだ。
ところがスティアフォースの登場によってデイヴィッドの立場は一変してしまう。スティアフォースと一緒にいるだけで、デイヴィッドを小ばかにしていた給仕はたちまち態度を変え、特別扱いを受けることになる。
そしてヤーマスでも、スティアフォースの影響で理想化された、美化した自己像を演じ続け、自らを欺き続けていた。スティアフォースと連れ立ってエミリーの前に姿を現すと、今度はエミリーの方が部屋に逃げ帰ったり、恥ずかしがってハムから離れたりと立場は逆転する。もっともエミリーが意識しているのはデイヴィッドではなくスティアフォースなのだが、デイヴィッドは気にも留めていない。ハムとエミリーの婚約を聞いても、スティアフォースが場を収めてくれたことによって、デイヴィッドが意志を働かせる機会が失われ、彼自身の判断は保留されている。
3.
ただヤーマス滞在の最後の晩、エミリーがマーサを連れてバーキス家に来ていたために、デイヴィッドはスティアフォース抜きでエミリーと合わされてしまう。この晩こそがデイヴィッドにとって、エミリーと向き合う本当の成長の機会となっている。マーサの境遇に同情したエミリーは、自身の高慢さや自惚れを咎め、「もっと感謝の心を持たなければいけない」と、夢への未練を捨て、平凡な現実に落ち着こうと誓い、ハムに寄り添おうとする。後にマーサはデイヴィッドも「優しく助けて下さった」(47章)と、彼がエミリーに共感し、同様の同情を寄せていたことを述べている。
帰りの馬車で、デイヴィッドはこの時の出来事をスティアフォースと分かち合おうとしない(23章)。この判断は、スティアフォースがエミリーとデイヴィッドの決意に理解や思いやりを示さないであろうこと、スティアフォースとヤーマスの人々とでは境遇も違えば、見解も異なることを自覚しているためだ。結局、スティアフォースを手本として従っていては、過去の自分と向き合えないことを最後に認め、成長の道を歩み始めるのだ。