デイヴィッドは何故エミリーを避けるのか(5) ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」

1.
エミリーとスティアフォースの駆け落ち後、デイヴィッドは自身の「信じやすい」性質を見直していくことになる。ガミッジ、ミニー、モウチャー、スティアフォースの母、ローザと立て続けに見解を改める。スティアフォースとの友情は絶たれても、改めて真価を認め、愛情はますます深まったと表明している。ダンは大きな侮辱を被ったと庇い、ハムからは悲しみや強さを見出す。しかしエミリーについての心境は何も語ろうとしない。
スティアフォース家でローザに暴言を吐かれてもデイヴィッドが庇っているのはダンだけで、エミリーについては一つも言葉を挟まず、終始ローザの描写に徹している。

40章でダンとロンドンで再会して旅の話を聞いても、エミリーがガミッジ宛に書いた手紙を読んでも、なおデイヴィッドはエミリーについて口をつぐんだままでいる。この時デイヴィッドの関心や観察はダンとマーサのみに向けられている。そのくせハムに話が及ぶと、すぐさま「可哀そうに、そうだろうねえ!」と同情を示しており、エミリーへの心境だけ明かそうとしていないことは明らかだ。

ロンドンでエミリーが発見されてからも、デイヴィッドはエミリーを避け続ける。ローザに罵倒され助けを求めている場面に居合わせるのにダンが来るのを待ち、エミリーが気を失うまで出て行かない。その後も理由を付けては会いに行こうとせず、豪州行きの船内でも見て見ぬふりをしている。デイヴィッドは、この状況では「ミスタ・ペゴティーにかぎる」(50章)だとか、「エミリーの方でたまらないかもしれないと思う」(51章)などと理由をつけている。55章でエミリーの手紙をハムへ取り次ぐ機会を作った際にも、中継役に徹するのみで、エミリー宛に何か書き添えた様子もない。

移民船が出航し、海が二人の間を隔てて、ようやくデイヴィッドはエミリーを正面から見据えている。デイヴィッドはエミリーを見て「胸が張り裂けそう」、「美しい」と述べるだけで、真意は秘められたままでいる。

岸の方へ漕ぎ戻っていくと、ようやくケントの山々には、夜の帳が下り――そして、まもなく私のまわりも、とっぷり暗く暮れてしまった。(57章)

最後に彼を覆っている闇とは、もちろん夜の暗闇のことだけではないだろう。
(この「夜」はデイヴィッドがスイスへ行き、死んだ者や失われた者たちを追悼した後、アグニスからの手紙を読むことで明けている。)

2.
僅かに3か所だけ、デイヴィッドがエミリーについて本心を漏らす場面が存在する。そこではデイヴィッドとエミリー二人の夢が並行して敗れ去っていく様が窺えるようになっている。

「いったい、どうするつもりなのかしらねえ。ほんとに分別も何もない。あの――マントルピースへ頭でもぶっつけるつもりなのかしら?」(35章)

破産したため上京してきた叔母ベッチーとの会話で、駆け落ちしたエミリーのことが話題に上がると、デイヴィッドは「ほんとに可哀そうなんですよ、エミリーも!」と、一言だけ心境を口にしている。ところがエミリーを可哀想と呼んだ矢先に、ベッチーはデイヴィッドこそ可哀想だと注意を向けさせ、ドーラとの恋に話題が運ばれる。ベッチーの指摘により思慮の浅さを自覚させられたデイヴィッドは、伯母が破産したことで見通しの立たなくなった暮らしに悩まされ、夢の中でまで苦しめられている。ここでは前途多難な暮らしに放り込まれたデイヴィッドとエミリーの不安が重なっている。

46章ではローザから屋敷に呼ばれ、リティマーを通してエミリーが失踪した経緯を聞かされる。ローザとリティマーはエミリーの消息を伝えながら、執拗にデイヴィッドとエミリーを侮辱する。二人の嘲りは一言ごと、身振りの一つごとに、つぶさに記されている。これは底意地の悪い二人から相当な侮蔑を加えられなければ、デイヴィッドの本心は隠されたままだったということでもあるだろう。
ここでもデイヴィッドは心境を明かさず、冷然とローザとリティマーの観察に努めようとするが、エミリーが野蛮な振る舞いをして、傷つけられかけたとリティマーから告げられると、二人からの挑発にも我慢できなくなったのか、彼は「かっとなって」と感情をあらわにし、「それでこそエミリーだよ」と言い返して、エミリーを支持している(岩波の訳だと「彼女のことを見直すね」となっている)。スティアフォースやリティマーに抗うエミリーを庇ったのは、マードストンに柔順なまま死に至った母クララと比較してのことだろう。
続いてスティアフォースの母が登場し、不変の威厳と正当性を示しエミリーに罪を着せているが、ここでもデイヴィッドはエミリーの肩を持つ。

しかしデイヴィッドがエミリーに直接言及しているのは、リティマーから彼女がよく浜辺で過ごしていたと聞かされた後のことだ。駆け落ちの後でも、彼女の書いた懺悔の手紙を読んでも押し黙り、本心を隠し続けたデイヴィッドが、この時だけ想いの内を明かしている。

「薄幸のエミリー! 遠い異国の浜べで、ちょうど彼女自身あどけない少女だったときと同じような子供たちに囲まれ、もし彼女が貧しい男の妻であったら、さだめし母と呼ばれたことであろうような、可愛い子供たちの声に聞き入り、そして永劫に「またとは、もはや!」と打寄せる大海の声に耳を傾けている彼女、なんとそれは、美しい一幅の絵に思えたことだろうか!」(46章)

デイヴィッドはエミリーの夢が敗れかけ、昔を偲ぶ姿を想像して美しいなどと述べている。ここでデイヴィッドが思い浮かべているエミリーとは、子供時代に立ち返ろうとしている彼女の姿、幼いころデイヴィッドと共に浜辺で愛を語りあった思い出と重なるエミリー以外の何物でもない。さらにはハムと結婚していたなら、エミリーと同じような子供が産まれていたと、彼女の人生が永遠に繰り返されることを、彼は望んでいるようでもある。

44章でドーラとの新生活に喪失感を覚え、45章でのアニーの言葉が胸に刺さったままのデイヴィッドは、ここで過去を美化し、過去に引きずられるエミリーの姿を自分と重ね合わせて誤ちを悔いている。
ストロング博士の自宅へ向かう前後(45章)では故郷のブランダストンを思い起こし、デイヴィッド自身の結婚の動機と過ちが、幼年時代に結びついていることが示唆されている。

落ち葉の上を踏んで行くと、まるであのブランダストンの庭を思わせるような香りがするし、むせぶかのように吹く風ひとつにも、何か昔の不幸な思いが漂って来るような思いがした。(ストロング家に向かう途中)
だが、とにかく私たちは家に帰った。そして、脚の下には、踏まれた落ち葉が散り敷き、空には秋風が吹きつのっていた。(ストロング家からの帰宅中)

ロンドンでエミリーが発見されると、駆け落ち後の経緯をダンがデイヴィッドとベッチーに語っている(51章)。ここでも無言を貫いているデイヴィッドだが、マーサがエミリーを連れ出したことに話が及ぶと、突如喜びの声をあげている。

私もまた、思わず歓声をあげないではいられなかった(51章)

エミリーが発見されても一向喜ぶ様子も見せず、その後も会いもしなければ言及もしないデイヴィッドが、ここでのみ明確に感情をあらわにしたのは、マーサに協力を求めようと提案したのがほかならぬ彼自身であり、自分の提案が功を奏したことで、いくばくかの償いをし、罪の意識や心の重荷を下ろしたことを実感しているためだと考えられる。

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