1.
「病んだ、臆病なこの心を、ひたすら食いものにして生きてきたわけだが、逆に、その餌食になってしまったとも言える」
(39章)
過去の記憶に捕らわれ、思い出に縋って生きようとしたウィックフィールド氏は、新たな希望となる幸福を自ら追い払ってしまい、人生を立て直す機を失いかけていた。スティアフォースの母は、「生きがい」だったという息子が失われると廃人同然と化してしまう。そしてエミリーに捨てられたハムは喪失を埋めようとしないまま同じ道を辿り、死に誘われてしまう。
「子供の頃のエミリーの話はするが、決して女としての彼女のことは、口にしない」
「ああ、わしは愛してましただよ――今でも愛してますだよ――とっても心からね」(51章)(ハムがデイヴィッドに語るこの台詞は正確には「I love the memory of her」、つまり「記憶の中のエミリーを愛している」と言っている。岩波では「今も思い出の中のあの娘を愛してるんだ」と訳されている)
ハムは幸せだった子供時代のエミリーだけを記憶に留めようとし、失意から立ち直ろうとせず、将来の展望も持とうとしない。エミリーと会おうともせず、天国でめぐり会う日を待っているとデイヴィッドに語るのだ。そのため、55章でエミリーがハム宛に書いた謝罪と感謝の手紙も、彼に届かぬまま死んでいる。
もしハムが新たな妻や恋人を見出していたなら、嵐の中に飛び込んでいくこともなかっただろうし、もしくは今のエミリーを強い意志で受け入れ、やり直すことが出来たなら、エミリーは豪州へ行くこともなかったかもしれない。現にデイヴィッドが嵐の中ハムへ手紙を届け、エミリーへの伝言をもう一度聞き直そうとしたのは、ハムの回復や更生への期待も込められていたからであろうし、二人の再生はデイヴィッドの傷を癒やすことにもなったはずだ。
駆け落ちを知った直後、エミリーが「いっそ死んでくれたら」「神様にお願いしたい」(31章)と、死を願ったハム。そして子どもの頃、海の上にかかる木材を駆けるエミリーが、その場で死んだ方が彼女にとって幸福だった(3章)と振り返るデイヴィッド。二人にとってエミリーの転落の底深さは、取り返しのつかぬ、死より重い決定的な喪失だったことが窺える。
折り合えない感情や、追悼できない死者、癒すことも出来ずに残り続ける傷があり、デイヴィッドにとってエミリーの堕落と、クララの死とは、心に収めきれないまま宙ぶらりんの状態となっている。作中で生涯を振り返りながらクララやエミリーを死と結びつけたがったり、幼年時代を幸せなものとしたまま終わらせようとすることに、語り手の抑え込まれた自我が見え隠れしている。
だからこそデイヴィッドはハムのように過去に捕らわれたり、悲しみに惹きつけられぬよう、彼を上へと導いてくれ、愛情と幸福で包んでくれる妻アグニスと結ばれる必要があったのである。
手紙の中でハムを家族や兄的な存在としか見てこなかったことを省みているエミリーは、事あるごとにアグニスを姉として位置付けてきたデイヴィッドの後悔と重なり合っている。幼年時代から二人の心に内在していた、不安や喪失感を埋めようとして、デイヴィッドはアグニスよりドーラを、エミリーはハムを捨てスティアフォースを選んだのだ。
夢が破れるとデイヴィッドはスイスで死んだ者や失われた者たちを追悼する。アグニスから届いた手紙を読むことで、エミリーの出航以降、彼を覆っていた「夜」が明ける。これまでアグニスの愛情を見落としてきた原因は自分自身にあったことを振り返り、その分岐点は過去の不幸な少年時代の喪失によって、実現されぬ望みを抱いてしまったことにあると思い至っている。一旦は立ち直るが、姉としての距離を保持しようとしたデイヴィッドは、帰国後2か月経ってもまた闇がまとわりつき、過去へと引きずられかけ、頻繁にアグニスに会いに行っては「夜」を埋めようとする。(62章)
2.
アグニスと結婚して10年後、帰国したダン叔父さんにデイヴィッドは「どこへ荷物を取りにやったらいいか」と尋ねるが、続けてアグニスが「叔父さん、お一人で?」と聞いている。この問いかけの順番は通常なら逆のように思える。デイヴィッドがダンを一人だと決めつけてしまった理由は直後明らかになる。
エミリーが未だ見つからぬ人として扱われていることからして、この10年間デイヴィッドはエミリーが転地で再生している姿を想像していなかったのではないか。デイヴィッドはエミリーが再起し新たな人生を歩んでいるなどと考えようとせず、死んだものとして過去の記憶に押し込めていたかのようだ。
ダンからエミリーがデイヴィッドのためにも毎日祈っていると聞かされても、デイヴィッドは何も心境を述べようとせず、最後までエミリーに言及しないまま終わる。