「アリシアの日記」 ハーディ傑作選(2)

アリシアはフランスに旅立った妹を心配しながら、「たとえようもなく悲しい気持ち」で家の中を歩きまわっている。妹が母に名所周りをせがむ姿を想像し、代わりを引き受けたがっているアリシアの気持ちが、動きとなって溢れ出ている。過干渉なアリシアは、もし妹が恋に落ちたら「厄介な、危険なこと」だと憶測を巡らせては、「わたしのほうが母親として適任」と言いだすほど自信に満ちている。

一方で妹から送られてくる手紙の内容は、アリシアの期待や関心に応えるものではなく、妹は姉に隠し事を持ち始めている。アリシアは伏せられた内情を探り出そうとするものの、一向に掴めぬまま、フランスで妹が婚約を交わしたことを知らされるのだ。妹は過保護な姉と保守的な父の目から逃れたフランスで、母の手引きを受け、外の世界の人間と新たな関係を築こうとする。

アリシアは妹のことを、「わたしと違って、ひとり立ちの生活が出来るほど長く家を離れて暮らしたこともない」と子ども扱いしていながら、最近は人なかに出たことは無く、人慣れしてない(5/9)という有様で、当の本人こそ一人立ちしそうな気配はない。外国への旅についても、これまで母と出かけていたのは私のほうだったと、何度も母に連れられていながら、結婚相手を見つけることも無かったようだ。

結婚できず家庭の枠組みから離れることが出来なかった姉は、ますます家族という枠内にしがみ付くようになり、妹の庇護者という肩書を自身のよりどころにしている。アリシアが家族にやたらと権威を示したがるのは、外での出来事に自分の意思を働かせる力を持たないことへの不満が、反動として表れているためだ。未熟な妹の世話を焼いているようでありながら、自らのアイデンティティの支えのために妹を必要としているのがアリシアの実態だ。
あどけない、純真、しとやか、などという妹の特質が失われることを懸念して(7/7)いるのも、従来の姉妹の関係が変化することを望んでいないためだ。妹の案内役、相談相手だと自認しているが、その実情は独りよがりな自己愛に近い。妹想いの姉の本心には、妹がいつまでも幼く、自分の庇護が必要なままでいてほしいという利己的な願望が潜んでいる。

ここに妹の婚約者という新しい人物が加わると、これまでの一家の均衡は崩れ、新しい関係性が築かれていくことになり、アリシアの立場にも嫌でも変化が起きてくる。妹の婚約により、一家に外部との干渉が起き始めると、アリシアは「世の中ではよくあること」などといった応え方を繰り返すようになる。家族間のことにはうるさく口出しするアリシアだが、外部の環境には判断する力を持たないためだ。

ところが母の突然の死によって婚約は保留される。妹は墓の前で思いにふける姉に声をかけ、手を取っているが、恐らくこの時に妹の甘えっ子な性質は終わりを告げている。母が亡くなると妹はいったん周囲と距離を置くものの、傷が癒えると先送りされていた結婚の段取りを自分で組もうと悪戦苦闘し始める。家族の一角が欠けたことで、姉妹の立場や性質には変化が起き始めている。

「わたしのほうが母親に適任」などと言っていた姉は、肝心の母の死後には「あの子のことが読み取れない」などと言って力になれない。そのくせ妹が立ち直ると、「すぐに痛手の癒える性格」だとまるで他人事のように片付け、自らの無力さとは向き合おうとしない。妹を慰めるのに手いっぱいだったというが、この慰め役というのももっぱら自分のために必要だったのだろう。悲しみに立ち向かい克服した妹の強さも、妹の力になれない無力な自分からも、アリシアは目を背けている。この態度は終盤でのシャルルの死後でも、「あの子のは思い切り泣いてしまえば気が晴れる」などと言って同様に繰り返される。シャルルを死に追いやった自分の非も、認めようとはしない。
こうした自らの欠点を認めないことがアリシアの抱えている致命的な問題であり、成長の妨げとなっている。そのためアリシアは自分が向き合いたくない、「もう一人の自分」といった別人格を内に抱え込むことになるのだ。

母と先妻が並んで納まった墓を前にして、アリシアは同じ男に二人の女が愛されるという奇妙な可能性を思い浮かべている。母亡き後アリシアは自らのアイデンティティを守り続けるために、妹への依存を続け、妹と立場を共にしようとしているのだ。自立していこうとする妹とは反対に、アリシアには妹の存在が無くてはならない存在になっている。
ひとり立ち出来ずに安心できる家庭内に閉じこもっているアリシアは、妹の庇護者であり続けたいし、姉として妹に出し抜かれてはいけない。しかし自立して外の世界と結びつく強さは無い。この二つの性質の間を取るのが、姉妹二人で同じ男性に愛されるという選択だ。これによってアリシアは、姉としての優位性を保ち続けることが出来るのだ。

アリシアは墓の前で妹に声をかけられ、手を取られた時に、「夢でも見ているような気持ち」から我に返っている。すると次の日記の日付では、逆に妹のことを「夢遊病」扱いしている。シャルルに初めて会った時も、アリシアは「夢でも見ておられるように」見つめられたと記している。
しかし夢を見ているのはアリシア一人だけではないか。妹やシャルルをありのままに受け止めたくないアリシアは、二人を自分に都合よい人物像として受け取るために、夢を見るように認知を歪ませている。そのためアリシアの日記の中では、妹は幼い存在として扱われ続け、シャルルは一方的な求愛を浴びせてくるかのよう解釈され続けている。
墓の前で目覚めたのはアリシアが抑え込んできた本心であり、これ以降アリシアは、本人が意識しない半面に導かれて行動していく。

シャルルの写真を見て惹かれ始めると、結婚を引き伸ばすためのシャルルの適当な口実をも、だんだん庇い出して(10/30)シャルルを家に呼び寄せる。日記の中でアリシアは、シャルルの気を引かないようにと注意していながら、実際は森で小道を外れたつもりがシャルルと合流したり、シャルルに心の動揺を見せたり(5/11)、写真を置いたまま離れてシャルルに見せつけたり(5/15)、わざわざ人のいない庭園に出てシャルルに告白させる機会を作る(5/19)など、自らの意思と反するような行動をとってシャルルの恋心をかきたてている。シャルルの話を感心して聞くのと同時に妹の感性を幼く見せているのも、姉妹を比較させてシャルルに差し出している。このほか「妹のためを思ってことさら愛想よくふるまってしまったのだ」などと、妹想いを名分として自らの行動を正当付けもする。

こうした進展の末にシャルルに愛されるようになると、
「どうして自分の気持ちがおさえられなかったのか、自分でも分からない」(5/11)
「何か宿命のようなものがいっさいを支配し、このような悲劇的な転倒を引き起こしたような気がする」(5/15)
「わたしの意思とは無関係」(5/20)
などと記しているように、自らの二重性については無自覚なままだ。よって日記には、アリシアが向き合えるアリシアの半面しか記されていない。
あるいはアリシアは自らが自覚したくない面を、日記で「宿命」とか「意志とは無関係」などと呼んで切り離すことで、自分が信じたい自己像を保ち続けているともいえる。日記はアリシアの自己認識を一面的なものに歪める役割を担っているのかもしれない。

アリシアはシャルルから告白を受けるが、目的はあくまで姉妹二人が同じ男性に愛されることにあり、妹の立場を奪うことでは無い。そのためシャルルには自分を愛させたまま、妹と結婚させようとする。誘いと拒否を繰り返され、二人のアリシアに弄ばれたシャルルはイギリスを離れるが、そのしわ寄せが妹の病となって現れる。
病気の妹を前にしたシャルルは、自らを犠牲にして「喜んで」妹と結婚するというが、その場合は法律により妹の死後は姉と再婚できなくなることをアリシアに告げる。するとアリシアは、「愕然として」返事が出来ない。ここで一つ疑問が生じる。母の墓の前で、同じ男性に二人の女が愛される予感を抱いている時、アリシアは姉妹だからそんなことはあり得ないと、確かに法律のことを知っているようなのだが、シャルルに指摘されるまでこの問題に気づいていない。このことはアリシアが無意識的な半面に導かれてきたあまり、現実認識が曇った状態でいたためではないか。

法という現実問題が立ちはだかって行く手を阻むと、今度は意識的な側のアリシアにバトンが渡される。アリシアがこの問題を掻い潜るためには、知恵を働かせて、論理に背いた手段を講じる必要があった。アリシアは偽りの結婚を計画してシャルルに承諾させるので妹は病から回復する。しかしアリシアはシャルルと約束してあった、妹へ説明する責任を果たそうとせず、うやむやにしたあげく八つ当たりまでする。イギリスから離れたシャルルを呼び寄せようと手紙を書くが、「愛情のあの字も見つからないだろう」という手厳しい調子で書いた手紙では、アリシアの本性である半面が抑えられているために、シャルルの心は誘い出せずにいる。

耐えかねた妹が水の都に乗り込み、事態が明確にされると、シャルルは3つの条件に縛られて妹と結婚させられる。すると今度は新たにしわ寄せを受けたシャルルに、病の兆候が見え始める。妹を病から救ったアリシアが、病気のシャルルには厳しい言葉をかけていることから、アリシアが本当に必要としているのが妹であることが分かる。
二人のアリシアに引き裂かれたシャルルは死を選ぶが、物語は5年後に飛び、どういうわけか妹は副牧師ハイアムと結婚している。ハイアムはアリシアを慕っていたはずだが、今度は妹に熱心に結婚を申し込んだのだという。続けてアリシアは、彼が芝居に手を貸したことを悔やんでいたことや、結婚によって犯した罪の償いをしたなどと述べているのだ。偽りの結婚に協力してくれた際にハイアムは、アリシアを崇拝するあまり「何でもしてくれる」と彼女の言いなりになっていたが、アリシアはこの時ハイアムが犯した罪に付け入って、二人を結びつけることに成功したようだ。

最後は、「妹のふたたび欺かれませぬように」というアリシアの願いで日記は終わっているが、妹はシャルルが本当に愛していたのは姉であったことも、溺死が事故ではないことも知らされていない。そしてハイアムがアリシアに好意を寄せていたのも知らないのではないか。
アリシアはシャルルの死後に自分自身のことを書きかけるも途中で筆を置いていることから、相変わらず自分の欠点と向き合おうとしていない。姉妹二人が同じ男に愛されるというアリシアの画策は、対象をハイアムに移して引き続いているようだ。

 

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