1.
作中でトムは二度、ロビンフッドを真似た盗賊ごっこをして遊んでいる。一度目はベッキーと仲直りが出来ずに、一人でビー玉遊びに逃避していると、ジョー・ハーパーが登場して相手をしてくれる。二度目はハックとの宝探しの最中に不吉な迷信を思い出したため、急遽盗賊ごっこに切り替えて遊ぶ。子どもたちは現実では満たされぬ気持ちを空想上の冒険で補おうとしているのだが、その不満はすぐに吹き飛ばされることになる。というのも二度ともロビンフッドごっこで遊んだ直後に、本物の泥棒や財宝を目の当たりにすることになるからだ。
無法者は現代ではいなくなったというが、代わりにインジャン・ジョー、マフ・ポッター、ぼろ服の男らが、トムたち子どもが夢見ている盗賊の、現代の姿として登場する。一度目は死体を盗む泥棒、そして殺人者であり、二度目では銀貨を盗んできたばかりか財宝まで掘り当てている。
この盗賊たちはトムがいつも破ろうとしている規範に縛られない自由翻弄な生き方を、大人になっても体現しているならず者たちであり、子どもたちが想い描いている将来の鏡像でもある。マフやジョーは反社会的行為に徹したまま大人になることの現実性をトムとハックに見せ、二人に重大な選択を迫らせる。
子どもたちと仲が良く、本人も精神的に子どものままのようなマフ・ポッターは、義理に厚く、医師に殴られたジョーを「相棒」と呼んで守ろうとするのだが、ナイフを奪われまんまと罪を着せられてしまう。逮捕後は村人の口に上がる言葉通り、社会の枠組みから外れた者に信用はまるで無く、庇ってくれる者は誰もいない。そして実際は殺人を犯していないのだが、誰よりマフ本人が自分に自信を持てないでいる。
インジャン・ジョーは個人的な復讐願望に取り付かれ、殺人を犯し、仲間を裏切って罪を擦り付ける。ジョーの恨みとは混血であるために受けてきた差別から生まれたものだが、白人のトムとハックにとっても全くの他人事というわけではない。
ジョーは事件以前から5人も殺しているなどと真偽不明のレッテルを貼られており、村人とは隔絶しているが、浮浪児のハックも既に子どもながら村の大人たちから疎外され、ジョーに似た扱いを受けている。子ども以外に繋がりがあるのが黒人奴隷だけであると、トムに打ち明けた時にも相当な引け目を感じている(28章)。村人からは一度も歓迎の言葉を受けたことがない(30章)ばかりか、さんざん無実の罪を着せられてきた(33章)というが、ジョーも浮浪罪にかけられ投獄されたり、むち打たれたせいで復讐心に取り付かれている。様々な困難に見舞われてきたハックの性格はトムとは真逆で、自分が目立つことを極端に嫌がり、大人たちを恐れて最後まで親交を持ちたがらない。
トムが1章で村に現れた新顔に喧嘩を吹っかけたのは、彼が身なりの良い格好をしているのを見て劣等感を覚えたことが理由であったり、5章ではハンカチを持っている子を羨んでは憎しみを向けている。聖書や記章の持つ威光のみに憧れて手に入れたがったりと、行いよりも権威や名声を誇示することにトムの関心は向かれている。子供の内にも格差意識や競争心は芽生えており、とくに負けず嫌いのトムにとっての行動原理になっている。
作中で「見せびらかし」と呼ばれているこれらの虚栄心は、大人たちの行為にも見出され、教会や発表会の場で滑稽に描かれているが、度が過ぎると治安判事だった故ダグラスのように、ジョーを「牢屋の前で、黒人にするみたいに、村じゅうみんな見てる前で、馬の鞭でぶつ」など地位の濫用に及び、憎しみを生む元となる。
トムは他者を許すことができずに一人で死の妄想に耽ったり、シドに仕返ししているが、ジョーも激高しやすく報復に固執し、ダグラスの死後も恨みは残り続けていた。
死体泥棒の際にジョーは、浮浪罪にかけられた時の恨みを医師にぶちまけているが、この時点で殺意は無く、凶器となるナイフもマフがたまたま落としたものだった。ジョーは過去の遺恨を、はじめは5ドルで清算しようと医師に取引を持ち掛けたにすぎなかったのだが、その返答として医師はジョーを殴りつけ、あくまで格差を誇示したことが殺意に発展している。
2章のペンキ塗りにおいては、機知にとんだ発想でトムは仲間に仕事を押し付けるが、ジョーもずる賢く殺人の罪を仲間に擦り付ける。二人とも責任を取ろうとせず、そのためには平然と嘘もつけるのだ。
ジョーが取り付かれている復讐心や劣等感の芽は、まだ少年であるトムとハックの内部にも潜んでいる。無邪気に盗賊に憧れる彼らは、ジョーのようにむち打たれ復讐する側にも、むち打ち圧制を加える者にも、無垢なまま濡れ衣を着せられるマフにもなりうる。物語の中で少年たちはジョーを通じて自らの悪と対峙し、克服していくことになる。
2.
3章でトムは砂糖を落とした濡れ衣を着せられると、ポリー伯母さんを許すことが出来ずに一人で死の妄想に耽っている。7章でも泣いているベッキーと仲直りの仕方が分からないと、一時的な死を願うことで快い自己憐憫に浸る。
ベッキーを許せないトムは一人で迷信遊びに逃避し、遊び道具のビー玉を掘り起こすが、呪文をかけて埋めていたはずのビー玉は増えていない。するとトムは目の前の事実を受け止めようとせず、新たな条件を後付けして迷信を補強する。続くビー玉捜しの遊びでも、成功するまで投げ続けることで迷信の信頼性を守っている。トムは自分の見たい世界しか見ようとせず、信じたい事実しか受け取らない。強情に自分を曲げようとしないので、他者とも和解ができないのだ。未熟な空想の世界に閉じこもるトムの前にジョー・ハーパーが現れると、幼稚に解釈された世界を共有して気を紛らわせている。
トムの親友扱いされているジョー・ハーパーは、ペンキ塗りや、教会の札交換でもトムの搾取を受けず、司令官ごっこやダニ遊びでは対等な相手役を務めるなど、トムと同等の存在として描かれている。しかし自分と同レベルの相手と付き合っているうちは、トムに新しい世界は開かれない。トムは本物のアウトローであるハックとの付き合いによって、社会の暗部を生きる盗賊たちと遭遇することになるのだ。
イボ取りの迷信についてハックと談義を交わしたトムは、ジョー・ハーパーから聞いた説よりもハックの話に惹かれて、墓場へと侵入する。そこで盗賊の殺人を目撃してしまった二人は、自分たちに危害が及ぶことを恐れ黙秘を誓い合う。誓いにふさわしい儀式として呪文を唱えると、松の壁板に血で名前を印して埋める。恐ろしい秘密は迷信の持つ権威に託すことで、永遠に封じ込められるものと信じるのだ。
翌朝、いつも叱ってくれるはずのポリー伯母さんが泣いてしまうので、良心はますます痛めつけられた上、ベッキーとも相変わらず和解はできない。天の裁きが殺人者の頭上に降りかかるべきなのに、何故か何も起きない。そんな意に沿わない世界から逃れるべく、トムたちは理想の世界を求めてジャクソン島へ家出するのだが、人恋しさに駆られて帰ってくることになる。
人間社会の暖かさを痛感して家出から戻ったトムは、ポリー伯母さんについた嘘を反省したり(19章)、ベッキーの罪を被ったり(20章)と、他者のためになる行動を起こし始めていく。その後は、発表会で失敗したり(21章)、少年団の記章を手に入れそこなったり(22章)と、成熟に伴い子供じみた「見せびらかし」への執着心や嗅覚は失われていく。サーカスなどの見世物が立て続けに行われるが、トムの孤独は満たされることはない。信仰ブームが沸き起こると同時に麻疹にかかって苦しんでいるのは、内面的成長を遂げる上で必要な痛みや葛藤が表現されている。
ポリー伯母さんの愛情を素直に受け取るようになったり、ベッキーとも和解できるようになると、悪戯をした級友への復讐心も消えていく(20章)。こうしてトムの反抗心や悪の芽が少しずつ克服されていく。発表会で生徒たちが先生に復讐する場面でも、トムは関与していない。
トムの良心はハックと迷信通りに誓った盟約よりも、真実を証言する方を選んでマフを救い出す。法廷で注目を浴びながら証言するトムには、「見せびらかし」に伴うような軽薄な虚栄心は見られない。子供じみた迷信は退けられ、社会的責任を負う重さと向かい合っている。
トムは「二番」の旅館でインジャン・ジョーに遭遇して逃げ出した際に、タオルを落とさなかったことをハックに感心されると、無くしたらポリー叔母さんに叱られるからと答えている。トムは潜在的に伯母さんの教えを正しいものと信頼しているので、窮地で指導者の教えに従うことで危機を切り抜けられるのだ。トムとポリー伯母さんは互いに胸の内を見透かす場面が幾度も出てくるよう、強い絆で結ばれている。2章ではポリー叔母さんに泣かれるのだけは困ると話している通り、ポリー伯母さんの愛情を裏切らない程度の振舞いが、トムの行動規範となっている。ポリー伯母さんと心が離れそうになるたびに反省する機会がもたらされ、トムに正しい成長の道を歩ませている。
一方で庇護者がおらず、危険がつきまとう人間関係を経験をしてきたハックは、ジョーの殺人について口をつぐもうとトムに持ち掛けたり、幽霊屋敷でも逃げ出そうとせず留まろうとしたりなど、危機に直面すると柔軟さを失ってしまう。皮なめし小屋で野良犬が現れたり、二番の旅館への偵察の際にもトムに見に行ってもらっている。ハックの人間不信の根は深く、迷信への信頼度もトムより強い。
幽霊屋敷への探検では、ハックが迷信を思い出して1日遅らせたことで、インジャン・ジョーらとの遭遇を免れている。ハックの慎重さや、危険への嗅覚が功を奏した場面だが、このような迷信に対する強い信頼は、いかに人間は自由を与えられようと、生活の中に何かしら支えとなる規律や秩序を必要とすることを物語っている。
マフの冤罪はトムが一人で解決してくれたが、ダグラス夫人の危機にはハック一人での判断を求められる。ハックは恐怖心に勝ち、ウェールズ人に助けを求めることでダグラス夫人を救い、村と和解する契機を得ている。翌朝ウェールズ人を尋ねるが、大人たちと急な接近をしたハックは信頼を抱けず、会話もままならないでいる。しかしここでも病気にかかることで、ハックに葛藤の機会が設けられている。結果的に病がウェールズ人やダグラス夫人との交流をもたらし、彼らに受け入れられていく。
財宝を手に入れたものの、再び孤立した暮らしを望んで逃げだしたハックに、トムはダグラス家に戻るよう説得をする。ここでトムが引き留めに用いるのが、再び盗賊ごっこの遊びなのだ。ただし今度の盗賊ごっこは、過去二度の遊びとは違って、組織化され独自の規律を持っており、成員には隊に相応しい礼儀作法を身につける必要があると説くのだ。制約を受けないハックの自由な暮らしを始めは羨んでいたトムだが、ある程度社会制度の必要性を覚えると、孤立する浮浪児ハックを実社会に引き戻している。
3.
4章でトムがメアリから貰ったナイフは何も切れないが、好奇心や想像力を満たすには十分であり、家具に傷をつけるなど他愛ない遊びで活躍する。ナイフはトムが宝物のビー玉を掘り出す場面や、ジョーが幽霊屋敷で財宝を掘り当てるために使われたり、タバコで吐き気を催したトムとジョー・ハーパーが「ナイフを探してくる」と場を離れるための口実に用いられるなど、アウトローにとってのシンボルの役割を果たしている。裁判でも凶器のナイフがマフの持ち物であることが証言されることで、殺人者扱いを受けている。
ナイフは使い方次第ではマフのように奪われ罪を押し付けられたり、ジョーのように医師を刺し殺す凶器ともなる。しかしジョーが閉じ込められた洞窟の扉が、ナイフで破ることが出来ずに真っ二つに折れていたように、大人たちが敷いた社会制度を打ち破ることはできない。
ナイフと対極的な道具としては凧糸が存在する。巨大な洞窟に迷い込んだトムとベッキーは、遊び道具である凧糸を使って脱出している。マフ・ポッターも獄中で子どもたちの凧を直してあげたエピソードを語っている。子どもらしい遊び道具である凧糸は、悪に染まり切っていない彼らが過ちから抜け出すための方法として残されているのだ。
正しい道具の使い方を覚えたトムは、凧糸を用いて洞窟に再侵入すると、十字架の下に埋められた宝をナイフを使って掘り当てている。自分自身に潜む悪の様々な形を見届けたトムだが、盗賊の魂まで失ったわけではない。