1.
橇に乗った怪物が北上して行った翌日に、似たような橇に乗ったフランケンが流れてくる。怪物とフランケンは同時に人前に姿を現すことはない。誰も怪物を捕らえられないが、怪物はフランケンの居場所を突き止めて会話もできる。怪物が仲間にしようとして殺害することになった子供は、偶然にもフランケンの弟だった。フランケンは弟を殺めたのが怪物だと固執するばかりか、「親しいものを破滅に導く」と予言する。クラーヴァルの殺害現場から離れた船も、フランケンの乗っていた船と同じだという。エリザベス殺害後に怪物を目撃したのもフランケン一人だけであった。ただし怪物の犯行時にフランケンにはアリバイが認められている。
フランケンが怪物の犯行を知る前には、徒歩旅行をしていたり、海上で漂っていたりと、自然との境目で過ごしている他、アルプスの奥地に入ると怪物と対峙するなど、自然を軸にして対となった二者は干渉し合っている。自然の奥深さに通じることは、フランケンの心の探求に結びついている。
怪物とフランケンには数々の同一性が見られるが、同一人物か分身なのか定かでなく、実在性も疑わしい。
少なくとも、フランケンと「同じ危険に身を晒している」と同一視されている語り手が、結末で大航海の挫折に直面し、彼の遺志を継ぐかの判断を迫られていることから、フランケンは本当に生命の秘薬を発見したわけではなさそうだ。
2.
フランケンの話は、両親や義妹との愛情から語られ始める。由緒正しい家系に生まれ、恵まれた環境で慈愛に満ちた家族と共に育つ。そして彼自身も、父に劣らない立派な人物となるべく、偉業を成し遂げて人類史に名を遺すものと確信を持っている。
フランケンは「子が立派に育つかは親が役目を果たしたかどうかにかかっている」(1章)と語っているが、彼の理屈で言えば、全く申し分ない環境で育てられたフランケンは、偉大な人物になる使命を背負っていることになる。彼は大学で研究にふけると「成功を疑いもしませんでした」と成功を過信する。フランケンが生命の創造に挑んだのも、父を超える偉大な父親となるためであった。
これは冒頭で述べられていた語り手の野心と似たものでもある。語り手は「末代に至るまでの恩恵をもたらす」などと断じており、歴史に名を残す大事業を自分が何し遂げるものと信じて疑わない。彼も「失敗を想像することに耐えられない」「成功以外に無い」と、挫折や失敗を受け入れる心構えなどまるで持たない。
そして二人とも孤独に陥っている。語り手は自分を理解して、支えてくれ、馬鹿にしない友、つまり自分を全て肯定してくれる友を求めているが、このような都合のいい友は、いないというよりも、作れないといった方が真実だろう。彼は現実的でない理想を抱いているようだ。フランケンも大学では二人の教授との出会いが記されるのみで、友と呼べそうな仲間はいない。語り手は「こういう人は二つの世界を持っている」などとフランケンを分析しているが、秘められた闇を抱えているのは彼自身にも当てはまることなのだ。
こうした問題の深刻さが、フランケンの話で露わにされていく。彼は高潔な家族や友人との絆が強すぎたあまりに、孤独に陥り自信を失うと、家族との結びつきが重荷に変わってしまうのだ。そして気位の高さゆえに挫折を認めることもできない彼は、かつてのように誇りをもって家族や友と通じ合えなくなりひとり苦悩に覆われていく。家族や友からの愛情や優しさを前に、心を開けず、自分が高尚な家族の一員に相応しくないという自責に苦しめられるのだ。
「こちらの行動が正しい動機に基づくものか否かを、誰よりも正確に判断できる」
「兄弟や姉妹の場合、嘘や不正を疑ったりはしない」(ウォルトンの手紙の続き)
また心が挫けそうになったときに、母を亡くしていたのも大きな不幸であった。エリザベスがいると癇癪が抑えられる(2章)、ジュスティーヌを見ると気が晴れる(6章)など、女性の献身性に寄りすがっていたフランケンにとって、母の死は埋めがたい喪失をもたらしたのではないか。
故郷から離れた新天地で、孤独に陥り、ひとり研究に没頭するばかりでいたフランケンは、次第に自分の闇や影の部分に飲み込まれていく。
3.
フランケンは賢者の石や生命の霊薬などといった、古びたオカルト科学を信じてしまったために、近代科学の地道な発展や進歩には興味を持つ気になれないでいる。雷が裂いた木の破片を見た瞬間に、彼の信じていたオカルト科学も同時に砕け散ってしまう。憧れの世界が消失したことで、彼の野心も失われる。
このとき既にフランケンの心は二つに分かれている。自分の興味の対象であったオカルト科学を諦めることも出来ず、かといって平凡な近代科学を受け入れることも出来ない。
熱意を失っていたフランケンだが、大学でヴァルトマン教授から、「地道な研究が奇跡の発見に結びつく」などと聞くと、これに飛びつき、都合よく解釈してしまう。再びオカルト的な夢物語が蘇り、近代科学と結び付けられる。彼は改めて学問の道を志すことになるが、目的はあくまで神秘の解明にあり、地道な科学の進歩などにはない。
家族に便りも出さず、健康を害してまでも研究に没頭する。それでも「生命の発見」を解く奇跡を成し遂げれば、彼は名誉を得られ、自信も回復し、再び家族や友と結びつき、孤独からも解放されるはずであった。
しかしフランケンは、当然であるが、生命の秘薬などという奇跡は起こせなかったのではないか。輝かしく見えていた栄光は絶望へと変わり、満たされなかった高い自尊心は、悪や憎しみの心へと代えられていく。
彼は自分が凡人であることも、奇跡など存在しないという事実も受け入れがたいために、人格が二つに引き裂かれてしまう。生命の秘薬などという理想は、自分が怪物を創生したと思い込むことによって達成され、空想上の怪物は彼の別人格として動き出す。フランケンは人間の創造を手掛けたと言い張るものの、制作の過程については口をつぐみ、創作物である怪物は誰にも捕らえられない。
別人格である怪物は、フランケンの自我に相容れない苦悩を背負わされることになる。フランケンの重荷と化している家族、高潔な魂を持つ故郷の友人を、怪物は殺めていく。
自分の過去を知るものを消すと、怪物に物語が生まれ、自律性を持ち始めていく。フランケンが実際に生きた歴史が抹消され、想像上の怪物の出生にとってかわられていくのだ。
この怪物は言葉を「東洋の文人を真似た本」(2巻5章)で学んだというが、これはフランケンがクラーヴァルと東洋作家の本を読んでいた(1巻6章)事実とリンクしている。醜い外見をした怪物とは、名誉を失った者に対するフランケンの偏見が反映されている。
フランケンが友クラーヴァルと再会し、家族を思い出していくと、怪物は一時姿を消す。クラーヴァルの献身は手厚く、友の有難みを実感するものの、怪物の秘密、つまり自分の苦悩は打ち明けられない。共感者を持てず、悩みは解消されないため、一人で抱えた闇は再び動き出していく。
召使のジュスティーヌはフランケンの母を崇拝しながら育ち、エリザベスに「あの子を見ておばさまを思い出す」と言わしめるほど、気高い魂を持っている。エリザベスはジュスティーヌを「姉妹」と呼んで家族同然に扱い、手紙では彼女の美質が絶賛されている。このように高潔であればあるほど、フランケンには受け入れがたい人物として映ってしまうため、下劣な罠にかけられ品位まで引きずり降ろされてしまう。
これと真逆の存在なのが、一家でただ一人生き残る、弟のアーネストだ。彼は勉強嫌いで勤勉さも無く、怠け者になるとエリザベスからは心配され、軍に入ろうとして父に失望されている(6章)。品位とも教養とも無縁で、家系の栄誉などに興味のないアーネストは、フランケンに全く期待を背負わせなかったために、殺されずに済んでいる。今後のフランケンシュタイン家の家柄も、唯一の生存者であるアーネストによって大きく作り替えられていくことになるだろう。
怪物はフランケンに復讐を続けることも出来るが、それよりも共感し合える醜い伴侶が欲しいと望む。
怪物の話に出てくるフェリックスは、名家の生まれで、父親に捨てられた不幸な娘と結婚して、彼女の身を引き上げようとする。このように父親から離された孤児の娘と結婚して、家に迎え入れるという境遇は、フランケンの母、エリザベス、ジュスティーヌが辿ったパターンに酷似している。
するとこの一家はフランケンシュタイン家の類型とも呼べるものであり、怪物がこの一家に愛されたいと希うのは、自分の醜さが家族の者たちに迎え入れられるのかという、フランケンの不安が反映されているといえる。そして怪物は彼らに受け入れられなかったために、醜い伴侶を求めようとするのだ。
怪物はフランケンの内なる孤独、愛情の飢餓、そして誇りを失った者の絶望を語っている。醜い伴侶の要求とは、フランケンに高い気位を棄てて、挫折を認め、低い水準の結合に甘んじるべきだと説いているのだ。
しかしこのような挫折や堕落を認めて、自分を変えるためには大変な苦しみを伴う。孤独でいるよりも身を落とせ、と怪物から説得を受けたものの、フランケンはイギリスで堕落者同士がなれ合う姿を見ておぞましさを感じている。
結局、彼は伴侶を作ろうとするもその醜さに耐えられずに投げ出してしまう。自分の醜さと和解できず、精神に支障をきたしてでも、傲慢な誇りを守り通す方を選ぶのだ。そして怪物は再び動き出し、以降はだいたい同じことが繰り返されていく。
最後に航海が頓挫し、語り手の野望はつい消えて船は引き返し始める。初めは忠告から身の上話を始めたフランケンであったが、最後は「野望を持って身を滅ぼしたが、他の人なら成功するかもしれない」と諦めのつかない言葉を残して死ぬ。話を書き留めている語り手に、「不完全なものを後の世に伝えたくない」と自ら修正を加えたり、乗組人に理想を棄てないように説得したりと、名誉心への執着は衰えていない。彼は最後まで自分の理想を保ったまま死んでいく。語り手もフランケンの高貴さに共感し、話の内容をすっかり信じ込んでいる。
帰路につく前には、フランケンの時と同じように「雷のような音」が轟き、氷が解けている。挫折を受け入れねばならなくなった語り手は、これまで誰も捕らえられなかった怪物の姿を見る。フランケンと怪物が同時に人前に現れるのはこの場面だけであり、怪物の醜さを直視するのも語り手一人だけだ。航海の失敗で栄誉が絶望へと変わり、彼も自分の心に潜む闇との対峙を迫られている。
※フランケンの話によると父はたいそう立派な人物であるらしいが、実際には興味のある分野だけ学ぶ息子を放任した(2章)ために、フランケンは偏った思想を持つようになる。またオカルト科学の本に傾倒する息子の熱意を見抜けなかったことを、フランケンから悔やまれている(2章)。幽霊や暗闇を迷信だと教え、当然抱くべき恐怖を取り除いたために、死体と過ごす研究に没頭して精神を壊す(4章)など、フランケンが過ちに至る多くの原因を作っている。