ネリーの思い込み(1) 嵐が丘/ブロンテ

1.
嵐が丘を訪れたロックウッド氏は、一目でヒースクリフの性格を理解したつもりになり、友人候補に考える。かと思えば、翌日は誰からも戸を開けてもらえずに不作法だと悪態をつく。天候の変化を見通せず、吹雪の中帰ろうとして笑われたりと、思っていたような歓待を受けられない。一家の関係性を見誤ったり、自分のせいでキャサリンが「結婚を後悔する」などと自惚れたりもする。

よそ者のロックウッド氏には、嵐が丘のしきたりや、住人たちの性質が全く理解できていない。ロックウッド氏が知っている常識など、嵐が丘では通用しないのだ。
その晩、キャサリンの日記と説教集のページを見ながら眠りにつくと、夢の中では礼拝堂で罪を犯すようにと説教を受けたり、大乱闘に巻き込まれたりする。嵐が丘における特殊な流儀によって、既存のモラルが倒壊したような印象がロックウッド氏に刻まれている。キャサリンの霊まで夢に見たことで、ほうほうの体で帰宅すると、嵐が丘には「二度と押しかけない」と誓うのだった。

ところで、ロックウッド氏が見た夢では、ジョウゼフと一緒に礼拝堂に行く展開になる。

そして、ジョウゼフ、ブランダラム牧師、ぼくの三人のうちの誰か「七十一倍めのはじめ」の罪を犯したために、そのことを公表の上破門されることになっているのだ。(3章)

ロックウッドは説教者のジェイベス・ブランダラムと弾劾し合ったり、ジョウゼフと殴り合いをするなど、三者は自分こそ正しいと主張したがっているようだ。そんな夢をみた理由というのも、信心深いジョウゼフがおよそ召使がとるような態度で接していないために、ロックウッドに価値観の転倒を引き起こしたためだ。初日にはジョウゼフに睨みつけられ、翌日は若奥さんへの取り次ぎを断られる。ジョウゼフは若奥さんとも堂々と言い争いをしている。ランプを奪って帰ろうとすると犬をけしかけられてしまう。寝る前に読んだ日記の中ではキャサリンをひっぱたいている。

嵐が丘の召使たちは、主人との間に主従関係が築かれていても、精神的な支配までは受けていない。ジョウゼフも、これから長い語りを始めるネリーも、己の信じるままに行動を起こし、平気で雇用主の指示を守らない。
夢の中にヒースクリフでもキャサリンでもヘアトンでもなく、召使のジョウゼフが出てきたことには、嵐が丘のもう一人の召使であるネリーがこれから語る、数々の不審な行動の予兆となっている。ジョウゼフは嵐の夜に「自分のような聖者と主人のような罪人とははっきり区別していただきたい」(9章)と祈りをささげ、ネリーも「屋敷で分別のある人間はこの私一人だけ」(12章)と思い込むなど、自分の正しさを信じて疑わない。

召使たちのこうした性質は、アーンショウ家の先代の旦那様、つまりキャサリンの父の教えに由来している。子供たちの遊び相手でもあったネリーは、食事を一緒に取らせてもらったり、旦那様がお出かけの際には土産を約束してくれるなど、ときには実子と変わらない扱いを受ける。またヒンドリーが若旦那となって帰ってくるまでは、ジョウゼフとネリーは居間で過ごさせてもらっている(6章)。嵐が丘では主従の境界線は曖昧で、互いによく反目し合い、召使は主人に意思まで奪われる事は無い。
なお旦那様の教えを受けていないジラは、この中には含まれない。「ここに来てから一、二年」という彼女は、「ここのお屋敷はわたしには合いません」(3章)と音を上げている。

2.
初期のヒースクリフは鏡のような性格をしており、好意を受けた相手に好意を返す。旦那様はヒースクリフを信用するようになるが、元はヒースクリフが嘘をつかない(4章)ためだったとネリーが認めている。
キャサリンはお土産に鞭を頼んでいたが、鞭は無くされて代わりにヒースクリフが連れてこられる。キャサリンが腹いせにヒースクリフにつばを吐くと、旦那様から拳骨を貰う羽目になる。ネリーも夜中ヒースクリフを置き去りにしたことで、数日屋敷を追い払われるなど、ヒースクリフに加えられた借りは旦那様が彼女らに返している。

ネリーははしかにかかったヒースクリフを「仕方なく」看護したところ、お医者様から活躍ぶりを認めて貰えるのでヒースクリフを見直すようになる。ネリーはヒースクリフが「辛抱強く」手がかからなかったと褒めているが、辛抱強く看病を続けたのはネリー自身なのだ。ヒースクリフを通じてネリーの美点が引き出されたように、ヒースクリフは鏡のような役割をする。

一方、ヒンドリーはヒースクリフに悪意を向けると悪意を返される。ヒースクリフはヒンドリーにびっこの馬を取り換えるよう要請しているが、それは3発殴られた償いを求めたのであって、決して一方的な要求ではない。

奥さまはすっかり怒ってしまわれて、その子をすぐにも外に放り出しそうな勢いです。
奥さまはヒースクリフが不当な扱いを受けているのを見ても、一言もかばっておやりになりませんでした。(4章)

ヒンドリーの性格は、浮浪児に冷たい態度を取る奥様から影響を受けている。召使を分け隔てなく扱うような旦那様の性質を受け継いだのがキャサリンで、その反対に奥様の性格はヒンドリーが受け継いだようだ。

旦那様がヒースクリフを連れてきたのも、跡継ぎである男の子が妻に似てしまったことが寂しかったためではないだろうか。旦那様が名を付けた「ヒースクリフ」とは、幼くして亡くなった自分の子の名(4章)でもあった。ヒンドリーを大学にやる前などは、「昔から役立たず、だめにきまっとる」(5章)などと期待もせずに見放してしまう。
連れてきた子を父親が跡継ぎより可愛がるのだから、ヒンドリーが「父親の愛情と自分の特権を奪った」と思うのも無理はない。これは理解の無い妻への復讐を、代わりに似た長男に加えているとも見ることができ、そうなると作中で展開される復讐劇のトリガーは先代が引いたものと言える。父親の愛情を奪われたヒンドリーは、ヒースクリフを召使の身分に落とし、恨みが連なっていくからだ。

お気に入りの遊びは、手や口を総動員して遊び仲間に命令ができる奥さまごっこでした。わたしも仲間入りをさせようとしましたが、ぶたれたり何か言いつけられたりするのはたまりませんから、いやだと言ってやったものです。(5章)
お父さまに気むずかしい顔で叱られると、もっと怒らせてみようかという、いたずらっぽい喜びにめざめるらしいのです。なにしろ、皆からいっせいにお小言を言われる時ほど嬉しそうなことはありませんでした。いつもの、気おくれしない生意気な顔つきと達者な受け答えで反抗するのです。天罰が下りますぞ、などというジョウゼフをあざわらい、わたしをからかっていじめ、お父さまの一番お嫌いなことをわざとしてみせます。(5章)

5章では子供たちの成長過程が描かれているが、小さな奥さまごっこ、つまり他愛ない子供の遊びの中ですら、ネリーはキャサリンに服従するつもりがない。キャサリンは「いやだと言われ」て、直接的なわがままが叶えられないと、今度は相手の気を引くための意地悪を画策するようになっている。こうした注目を集めようとする狙いは見事に成功し、ヒースクリフの愛情を奪うことで旦那様の気をもませている。
旦那様がヒースクリフを、「キャシーよりずっとかわいがって」(4章)いるために、負けじとキャサリンも気を引こうとしたのだ。父親からの愛情不足に喘いでいたのはヒンドリーだけではない。

「どうしていつもこんなよい子でいられないのかね、キャシー」
キャシーはお父さまの顔を見上げ、笑って答えました。
「どうしていつもお優しくなれないの、お父さま」(5章)

この旦那様は「子供の冗談が分からない厳格な方」(5章)とネリーから見られており、最後までキャサリンの訴えの意味に気づけなかったようだ。父親の愛情に満たされることのないまま残されたキャサリンには、愛情の飢餓という課題が持ち越されることになる。

キャサリンが錯乱を起こしかけると、ケネス医師は「何でも言う通りにし、激しい気性に火をつけることがないように」と、愛情をたくさん注ぐよう忠告をする。
しかし結婚後に、キャサリンがエドガーとヒースクリフの二人に挟まれると、ネリーは甘やかしを良しとせずに、「独断で」両方から引き離そうとするため、愛情不足からキャサリンは精神錯乱を起こし、病に伏すことになる。

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