1.
イザベラの駆け落ちを知ったエドガーは絶縁を宣言し、スラッシュクロスとヒースクリフとは完全に隔絶する。14章でネリーはイザベラに会いに嵐が丘に行くが、ヒースクリフを前に「二度と顔を出さないでください」と忠告し、エドガーと主張を共にしている。
ところが帰り際には、ヒースクリフをキャサリンに合わせる手はずを整えるよう約束させられてしまっているのだ。
これまでヒースクリフを屋敷から遠ざけるよう、あらゆる陰謀や根回しを用いてきたネリーだが、ここで急な心変わりを見せ、自分の判断にも自信を持てなくなっている。頑なに主張を曲げず、自己を正当化してきたネリーが反省の色を見せるのは初めてだ。
ではネリーの見解を改めさせた理由は何だったのか。この場面で起きたことは以下の通りとなる。
(1)イザベラから手紙を貰ったネリーが嵐が丘に着くと、ヒースクリフはキャサリンの様態について、ねほりはほり聞き出す。そして自分がいかにキャサリンを愛しており、エドガーとは違うかと熱意をもって語る。
(2)するとイザベラが口をはさむので、話題はキャサリンを差し置いてイザベラ自身のことへと移る。
(3)イザベラが追い払われると、再びヒースクリフはキャサリンと会わせるよう、哀願したり恫喝したりと交渉するので、ネリーはこの訴えを聞き入れてしまう。
ここでは話に割り込んだイザベラが重要な役割を果たしており、ネリーはイザベラに感化されて考えを改めている。これまで無知で了見が狭い女として扱われ続けてきたイザベラが、自分の愚かさと過ちとから引き出した成果を披露することで、ネリーに二つの真実を告げている。一つはエドガーの愛を再評価させること、もう一つは強情な思い込みを捨てさせることだ。
「旦那さまにとって今後愛情の支えになるのは、かつての思い出、人としての人情、それに義務感だけでしょう」(14章)
ヒースクリフからキャサリンの様態を尋ねられたネリーは、エドガーが義務と同情だけでキャサリンに付き添っていると語っている。キャサリンの甘やかしを快く思っていないネリーは、エドガーの愛情も献身ぶりも評価しておらず、批判的な目で見ているのだ。
ところがヒースクリフがキャサリンへの愛情の深さをまくし立てている最中、イザベラは口を挟んで兄を庇う。
この発言は軽視すべきではない。エドガーとヒースクリフの両方と暮らしを共にしたのは、イザベラただ一人だけだからだ。イザベラは兄の愛が上回っていると言っているが、これは同時にヒースクリフの語る愛が偽物だとも言っていることになる。
「あんななよなよしたやつが八十年かかって愛したところで、おれの一日分にも及ぶまい。それにキャサリンの心はおれと同じくらい深い」
「エドガーなんか、キャサリンにとって犬か馬程度のものさ」(14章)
ヒースクリフは自分の愛こそが本物だと熱意をもって語り、エドガーの愛には価値も影響力も無いと断じる。キャサリンが愛しているのも自分であって、エドガーは犬か馬程度に扱われているだけだという。イザベラはこの話に割り込むと、キャサリンとエドガーこそ深く愛し合っていると、ヒースクリフの「思い込み」を正そうとする。するとイザベラ自身のことに話が移るが、このイザベラも「思い込み」でヒースクリフを愛そうとしていたのだった。
イザベラは確かに偶像に惑わされて身を任せたが、夢から覚めた今ではヒースクリフが嘘つきの悪魔だと告げる。プライドを叩き潰されて現実を見据えたイザベラは、ヒースクリフよりもエドガーの愛が上回っていると判定を下す。というのもヒースクリフこそが思い込みに囚われ、夢に惑わされている者だからだ。
「あれはわたしのヒースクリフじゃないんだもの。わたしはわたしのヒースクリフを愛して、一緒に連れて行く」(15章)
キャサリンが「私自身」と呼んだヒースクリフとは、あくまで嵐が丘時代のヒースクリフであって、再会後のヒースクリフではない。死後に「一緒に連れていく」のも、嵐が丘時代の彼であって、再開後のヒースクリフではない。
ヒースクリフは出世して紳士となって帰ってきたが、キャサリンと共有していた無垢な魂は失われていた。再会後はキャサリンに「本当に悪かったと思ってたんだろう?思って当然さ」(10章)、「きみから恐ろしくひどい仕打ちを受けたと考えている。実にひどい仕打ちをだ」(11章)などと、償いを求めるばかりで、自分からは何も与えようとはしないからだ。そんなヒースクリフにキャサリンが惹かれている様子も無く、エドガーからの愛情を奪う脅威とはなっていない。
ヒースクリフはかつてキャサリンと互いに愛情を与え合っていたことなどは忘れてしまっている。昔の関係が失われたのも、キャサリンの裏切りによるものと原因を押し付け、再会後は相手に償いを求めるばかりなのだ。
一方でエドガーからの愛情については、キャサリンは信頼を持って語っている。
「わたしたちが仲よくしていれば、エドガーが喜ぶし、それを見てあたしも嬉しいけれど」(10章)
「わたしはいつも二人のご機嫌をとっている」
「それは違いますよ。お二人のほうが奥さんのご機嫌をとっていらっしゃるんです」(10章)
「わたしは、エドガーの愛を信じているんですもの。あの人はね、たとえわたしに殺されたって仕返しなんか考えない人よ」(10章)
キャサリンとエドガーはあまり相性が良いとは言えず、我慢し合わなければならないことがあると認めているのだが、互いに譲り合ったり、喜びを与え合うことで信頼を築いてきた。
そのためエドガーが立ち聞きしていたと思い込んだり、ヒースクリフを出禁にされてしまうと、信頼が崩れ発作を起こしてしまう。ヒースクリフが与えなかった愛情と献身を、エドガーは最後までキャサリンのために送り続けていたのだ。
キャシーはお父さまの顔を見上げ、笑って答えました。
「どうしていつもお優しくなれないの、お父さま」(5章)
十分な愛情を受けられないまま父を亡くしたキャサリンは、愛情に飢え、自分の魂を共有できる相手を求め続けた。そしてネリーはキャサリンの魂の希求に気づかず、単なるお嬢様の「わがまま」だと見なして、ことごとく愛情の訴えを撥ねつけてきた。ヒースクリフを屋敷から遠ざけようとし、キャサリンを甘やかそうとするエドガーをも、あの手この手で引き離し続けて夫婦の仲を引き裂いてしまったのだ。
ネリーがイザベラの話を聞いて、自分の過ちをはっきり自覚している様子はない。しかしヒースクリフを引き離してきたネリーが自信を失い、「もしかするとキャサリンの心の病に、良い転機をもたらしてくれるかもしれない」と考えを改め、二人を引き合わせるよう思い直している。自分本位な愛を語るヒースクリフと、無償の献身を続けるエドガーを比べながら、エドガーの愛をようやく理解し始めている。物語後半になると、ネリーはエドガーの意思を尊重するようになる。
「おまけにあの腑抜けの、ケチな野郎が義務感と同情心とでくっついている!あわれみとお慈悲でね!」(ヒースクリフ)
エドガーの愛情の真価を見抜けないネリーと、その話を真に受けているヒースクリフ。二人とも狭量で自尊心が高く、自分に都合のよい「思い込み」を信じてしまっている。イザベラの訴えを聞いて、自分の判断に自信が持てなくなったネリーは、当事者同士を直接会わせることで、彼らの判断に委ねることにする。
ネリーは「これは正しいことでしょうか、間違っていたのでしょうか」と葛藤してはいるが、ヒースクリフを屋敷に上げれば主人のエドガーを裏切ることになるため、「以前旦那さまから厳しく叱られた」などと、ここでも責任転嫁して自己の正当化を続けようとする。良識者ぶっているがまだ未熟者なのだ。
この章が終わると、次章では「すっかり話を聞いた」というロックウッドに語り手が交代されている。自らの意思に沿うようにと登場人物たちを操ってきたネリーが、今後は画策をすることが無くなるためだ。ロックウッドはネリーの底意にまるで気づいていないようだが、彼でも十分に語り手の役が務まることを、この交代は意味している。
2.
続く15章でヒースクリフはスラッシュクロスに押し掛け、キャサリンと再会する。正気を失っていたキャサリンはヒースクリフを相手にすると、はっきりとものを述べヒースクリフの愛は身勝手で独りよがりなものだと告げている。
「ネリー、わたしをこの世に引きとめておくためにちょっと優しくするのさえいやがるのよ、この人!あれでわたしのことを愛してるんですって!でも、かまわない!あれはわたしのヒースクリフじゃないんだもの」(15章)
こうまで直接非難されても、ヒースクリフはキャサリンの言葉を尊重することもなく、「君は自分で自分を殺した」などとキャサリンに責任を押し付ける。ヒースクリフは夢を見続けることを選び、引き続き自分に都合のいい「思い込み」を信じようとするために、次世代の子たちも巻き込まれていくことになる。
3.
「一緒にいたら、わたしにどんな得があるの?あんた、どんな話をしてくれる?言うことだって、することだって、ちっともおもしろくないじゃないの。口のきけない人か赤ん坊と同じだわ。」(8章)
8章で自分から好意を示せないヒースクリフは、キャサリンから直接問題を指摘されると不貞腐れて出て行き、これが嵐が丘での最後の会話となった。ヒースクリフと入れ違いに入ってきたエドガーは、キャサリンとひと騒動起こした末に、彼女の欠点を我慢強く受け入れることを選び婚約を交わしている。
ヒースクリフの過ちはこの時から変わらず続いている。身分を上げて帰ってきても、キャサリンに愛情を与えることは忘れ、自分の欠点は認めようとしない。
1章ではロックウッドも、とある女性が「想像もつかないほど魅惑的なまなざしを返してくれた」などと振り返っていたり、2章ではキャサリンに「ぼくのせいで彼女が自分の結婚を後悔し始める」などと、自らに都合のいい思い込みで他者を捉えようとしていた。
自分から好意を示せないくせに、相手を非難して自己の正当化を図っている点ではロックウッドもヒースクリフと同様だ。物語の初期段階から、この「思い込み」というテーマは提出されていたのだ。