1.
27章でネリーは嵐が丘の部屋に監禁されながら、2度目の反省をする。病気のエドガーとキャサリンが引き離されてしまった原因が、全て自分にあると考えるのだ。
ネリーはイザベラから思い込みを正されて以降、自分の思惑通りに周囲の人物を操ることを止める。一転してエドガーの意向を尊重するようになり、娘のキャサリン2世は甘やかし続ける。これまでキャサリン1世やエドガーを出し抜いてきた狡猾な召使は、物語後半では主人に従順で、忠実な召使へと変貌する。すると今度はキャサリン2世に出し抜かれ、翻弄される立場へと反転していく。
スラッシュクロスで愛情をたっぷり与えられて育ったキャサリン2世のわがままに、ネリーは抑止する力を全く持たない。ネリーは幾度もお嬢様に意思表示するものの、一度も意見が通ることは無い。キャサリンがネリーの言いつけに従うのは、ただ一つ、愛する父エドガーを思いやる理由がある場合のみだ。
18章でキャサリンはネリーの手を抜け出て屋敷を飛び出すと、嵐が丘を発見してしまう。ネリーが叱ろうとすると笑顔で逃げ回って反省する素振りもない。帰り道ではお父さまを悲しませないために、そしてネリーが解雇されないようにとの理由で口止めを約束してもらう。
21章ではネリーの呼びかけを聞かずに遠出して、ヒースクリフと遭遇してしまう。嵐が丘に誘われると、ネリーは「誘いにのっては絶対にいけません」と説得するが、構わず駆け出していく。またも長居して、帰りを呼びかけるネリーを困らせる。
翌日エドガーに見つかるとネリーともども叱られるが、ネリーは「かえってこれでよかった」と安堵するばかりか、エドガーに監督された方が効果があると主人に任せようとする。物語前半のネリーとは打って変わって、過失を責められることも厭わなくなり、自分の強情さや虚栄心よりも主人の意向を優先するようになっている。キャサリンはエドガーから言い聞かされたことで嵐が丘行きを断念する。
リントンにせめて手紙を書きたいと頼むキャサリンをネリーは諭すものの、言いつけは破られて手紙での交際を始められてしまう。ネリーは手紙を見つけると、抵抗してくるキャサリンに「お父さまにお見せしてきましょう」とエドガーの権威を用いることで、焼くことを承知させている。
22章でヒースクリフからリントンが死にかけていると吹き込まれると、ネリーの説得は効果が無いどころか、逆に嵐が丘に連れて行かれる羽目になる。
23章で駄々をこねるリントンに、ネリーは芝居してると指摘するがキャサリンは構わず甘やかす。リントンの相手をし続けるキャサリンを止めるが効果は無い。明日も来てほしいと頼んでくるリントンに、キャサリンはネリーの言いつけとは「別の答え」をしたり、帰り際にも忠告を聞く気が無い。
ネリーが風邪で3週間寝込んでしまうと、キャサリンは父とネリーの世話をしながら、大人たちの目をかいくぐって嵐が丘に通い始める。ネリーはお嬢様の献身ぶりに感激するあまり、夜の密会に全く気付いておらず、まんまと出し抜かれてしまっている。
わたしはお嬢様の部屋からまっすぐ旦那さまのお部屋に行き、一部始終をお話ししたのです。(24章)
密会が発覚すると、ネリーはお嬢様から口止めを要請される。ネリーは自分の力ではどうにもならなくなると、直ちにエドガーに内情を明かして指導を任せている。ネリーに代わってエドガーが嵐が丘への訪問を禁止すると、キャサリンも父の言いつけに従うが、ネリーの温情でリントン側からの訪問は許されている。
このようにネリーはキャサリンの願いをできる限り聞いてやりつつ、自分の力が及ばない部分はエドガーの指導に任せることで、お嬢様の成長を導いてやる。
しかしエドガーの様態が悪化すると、この法則は崩れてしまう。ネリーは主人の臨終を乱さないようにと気を配るために、ヒースクリフの企みや、リントンの神経過敏な性質といった心配事を正しく告げられなくなる。エドガーという抑止力を失ったネリーはキャサリンを制御できなくなってしまい、ヒースクリフの罠にもむざむざ吸い寄せられてしまうのだ。
2.
「そこはわたしと意見が違いますね、お嬢さん。ずっと悪くなってるとわたしは思いますよ」(26章)
キャサリンにはリントンの健康状態が「前より良さそう」に見えているが、ネリーはリントンの精神状態を見て「ずっと悪くなった」と判断している。ヒースクリフの支配を受けたリントンが精神にどのような影響を被っているのか、未熟なキャサリンには理解が及んでいない。
ネリーはリントンがヒースクリフに怯えている様子を正しく見抜けていながら、エドガーには真実を告げずに安らかな死を迎えさせようとする。その判断については何ら悔いていない。臨終にもキャサリンに「リントンと幸せになれそうだ」と嘘を言い聞かせ、静かな最期を迎えさせている。
ネリーが悔やんでいるのは、指導力不足によってキャサリンを抑えられなかった自分自身に責任を感じているためだ。リントンをずる賢く操るヒースクリフの企みを見抜けていながらも、人生経験が浅く疑うことを知らなかったキャサリンを止められなかったために、二人は嵐が丘に閉じ込められてしまう。
ネリーは嵐が丘に監禁されながら、主人のキャサリンに逆らってでも、ヒースクリフと引き離す手段を取るべきではなかったかと悔いている。忠実な召使の意見などは聞き入れられないために、手回しや陰謀といったずる賢い手段を封じてしまうと、キャサリンを正しい方向へ導くことも出来なくなってしまう。
物語前半ではネリーが余計な根回しをしてキャサリンとエドガーの仲が引き裂かれてしまったが、後半ではネリーが手を回さなかったためにキャサリンとエドガーが離されてしまうのだ。
3.
「そうかもしれない。でも、あんな馬鹿なことをするとは思わなかったんだもの」
ヘアトンがずっと不機嫌なまま、勉強もしないでいるのを残念がっているのは、わたしにもわかりました。せっかくの向上心を自分がくじいたのだ、と良心がとがめていたのです。それも完璧なまでにくじいたわけですから。(32章)
嵐が丘に帰還したネリーは、ヘアトンを笑い者にするキャサリンに問い直し、本人に考えさせることで軽率さを自覚させ反省を促す。二人が打ち解け合うと「聞き取れないような声で、何か答えました」「その後の話はよく聞き取れませんでした」と、干渉しすぎない距離から見守るようになる。すっかり和解した後には「わたしのそばにとどめておくのは無理」と自分の手からも離してやる。
ここでネリーは自分の意志で二人を操ることもせず、また従順に従うだけでもなく、二人の自主性を育てることで、上手く仲を取り持ったと言えるのではないか。
ネリーの手から離れた二人は、庭いじりの最中に黒スグリを切ってしまうのだが、この事件をきっかけにヒースクリフとの関係性も改変されていく。二人の自主性が抑え込まれることなく育まれ始めると、ヒースクリフは過去にありえたかもしれない自分とキャサリン1世とを重ねて見るようになる。
もしもネリーが二人の監督を続けていたならスグリは切られなかっただろうが、二人の自主性も想像性も押さえ込まれたままとなり、ヒースクリフ自身も変わることは無かっただろう。
ジョウゼフが大事に育てていた木とは、嵐が丘の古い権威の象徴でもある。二人が独立した精神を築いていくために古い権威は打倒されねばならなかった。
ヘアトンを侮辱するキャサリンにも、ネリーは自分の感情を挟まずに注意している。こうした言動や、「わたしは他にうらやむ相手など一人もいない」と、二人を素直に祝福している言葉からは、虚栄心や妬みの感情を克服したネリー自身の成長を見ることができる。
ネリーが嵐が丘に来る前には、30章でジラが、31章ではロックウッドが、それぞれ失敗例を披露している。二人ともキャサリンの根が素直で優しいことを見抜けずに、非難を返すことで自分の自尊心を守っている。ヘアトンは鏡のような性格をしており、ジラやロックウッドが抱いた反発心を肩代わりするかのようキャサリンに反撃していたが、ネリーはキャサリンの親愛をヘアトンに注ぎ込んで二人を良好な関係へと改善させている。
キャサリンの愛情の希求に気づけなかったロックウッドは、後に仲睦まじいカップルを見て後悔することになる。ヒースクリフやロックウッドは己の自尊心を守ろうとしたばかりに、相手を許すことを忘れて幸せを手に入れ損なう。こうしてみると嵐が丘とは、語り手ネリーの成長が描れた物語と読むことも出来る。