1.
「すべてを未解決で、不安定で、混乱した状態にほっておくというくせが、彼の中に育って、根付いてしまったのだ。リチャードよりもうんと年長で堅実な人間だって、まわりの状況によって左右される」(13章)
リチャードの優柔不断な性格は、生まれながらに宿命づけられた訴訟の影響を被り、損なわれてしまったためだとジャーンディスは分析する。話を聞いたエスタもこの考えを支持している。しかし二人は、ジャーンディス本人の性格も、訴訟によって多大な影響を受けていることには気づいていない。
「僕はあなたがたに通俗的な感謝の念を持っちゃいません。あなたがたこそ、寛大というぜいたくを楽しむ機会を授けられることを、この僕に感謝すべきだと考えているくらいです。僕にはわかっています、あなたがたは好きでなさっているんですよ。」(6章)
エスタ、エイダ、リチャードが荒涼館に向かう途中の馬車で、ジャーンディスが決して感謝を受け取らない性格であるとの説明がされる。荒涼館でジャーンディスと対面すると、次には決して感謝をしないというスキムポールを紹介される。ジャーンディスとスキムポールが続けざまに登場するのは、この二人がペアのように組み合わさっているからだ。
「決して感謝を受け取らない」風変わりな性格のジャーンディスは、「決して感謝をしない」スキムポールと付き合うことで精神的バランスを取っている。スキムポールの存在はジャーンディスの弱みや、隠れた欠点を浮かび上がらせている。
貸し借りを清算するはずの裁判が終わらずに、巻き込まれた者たちは皆不幸な人生を辿っていく。そのためジャーンディスは決着のつかない裁判に不干渉の姿勢を取り続けている。
しかし自分にとって大問題である訴訟に対して無関心さを貫くために、ジャーンディスは多大な代償を支払い続けなければならなかった。彼は実生活でもあらゆる貸し借りを不問にし続けることで、「ケリは着かないのが当たり前」だと自分を納得させているのだ。
そのため彼は責任を取らないスキムポールを進んで受け入れて面倒を見ている。利己的な慈善家たちにまで施しを続け、その見返りは決して受け付けない。このように貸し借りを清算しない状態を保つことで、終わらない裁判の問題を遠ざけることが出来ている。
義務を果たさず、責任を取らず、その必要性すら考えないスキムポールは、ジャーンディスに裁判を忘れさせる効果をもたらしてくれる。ジャーンディスはそのためにスキムポールを囲っている。裁判に背を向けようとする姿勢を元にジャーンディスの性格は形作られており、結局は彼自身も裁判の影響を被ってしまっているのだ。
スキムポールは好き勝手に問題を起こすが、ジャーンディスは子どもだからと理由をつけて面倒を見続ける。エスタは幾度もスキムポールに不信の目を向けるものの、ジャーンディスは笑い飛ばすばかりでスキムポールを無条件で受け入れ続ける。不安定で不確実なスキムポールがもたらす騒動はジャーンディスを喜ばせ、東風の向きも変えてくれるのだが、そのためにスキムポールは問題を起こすのを止めない。
つまりジャーンディスがスキムポールを受容して、金を与え続けているために、問題は起こり続けていく。スキムポールが起こす騒動とは、紛れもなくジャーンディスが取らねばならない責任問題なのだ。ジャーンディスは内面の混乱をスキムポールに押し付けることで、自分の心の平穏を維持している。二人は裏と表のように関連し合い、ジャーンディスが先送りした問題は、スキムポールによってさらなる大きな騒動として引き起こされる。
慈善を続け、善人扱いされているはずのジャーンディスだが、スキムポールが他人に迷惑をかけても何も改めさせようとはしない。リチャードが裁判に希望を持ちたいがために、楽天的なスキムポールとつるみ始めても、ジャーンディスは影響力を軽視して放任する。
ジェリビー夫人やパーティクル夫人の活動資金も、「事業に共鳴」(6章)したいスキムポールのために、「この心からの願いを放っておかなかった」(6章)というジャーンディスが資金の出所となっている。慈善家が活動に打ち込めるのも、そのせいで夫人らの子供たちが犠牲を被っているのも、元を辿ればスキムポールの願いを聞いたジャーンディスの罪に行き当たるのだ。
スキムポールの取り立てで命を削ったコウヴィンセスの子チャーリーら、スキムポールの呼びかけで活動資金を得ているジェリビー夫人の子キャディーら、同じく活動家のパーディクル夫人の子たち、スキムポールとの付き合いで訴訟にはまり込んでいくリチャード、そのリチャードと結婚して荒涼館を出るエイダ、スキムポールが賄賂を受け取って荒涼館から追い出してしまう病気のジョー。
子供を名乗るスキムポールを放任し続けるために、本当の子供たちは苦しめられている。荒涼館から病気のジョーが追い出されてしまったように、ジャーンディスがスキムポールという大きな借りを抱えているうちは、本当の子供たちを救うことはできない。スキムポールを非難するバケットの台詞は、子供だからと言ってスキムポールを受容するジャーンディスをも同時に非難している。
エスタはスキムポールが計算高くジャーンディスに取り入っているのではないかと疑いを持つが、いつも断定しきれずにいる。というのも、ジャーンディスの方こそ好き好んで付き合いを持とうとしているのであり、二人の関係は決して片側のみの利益とはなってはいないためだ。裁判から逃れたいジャーンディスにしろ、また裁判に希望を持ち続けたいリチャードにしろ、進んでスキムポールと結びつきを持ちたがっているのであり、誰も騙されたり、取り入られているわけではない。
誰もが深刻な問題に行き当り、心に余裕を欲したときには、スキムポールのような人間と付き合いを持ちたくなる誘惑に駆られる。そのためスキムポールの死後も、彼の魂が宿った伝記は、苦難から逃れたい多くの人を魅惑し続けている。伝記の中で「ジャーンディスこそが利己主義」だと批判を返されているのもあながち間違いではない。
2.
「とにかく東風じゃない。私の思いちがいだった。」(6章)
スキムポール以外に、ジャーンディスの風向きを変えられる存在がエスタとなる。エスタは混沌としたジェリビー家の暖炉に火を入れ、子供たちの世話をし、家庭の秩序を回復させる。この話を聞かされ、感謝の言葉を述べられたジャーンディスは、逃げ出さないどころか東に吹いていた風向きも変わっている。家政を安定させ、家を建て直すことによって、ジャーンディスの内面にも穏やかさが注がれていく。荒涼館、つまりジャーンディスの内面の安定を保持する役割をエスタは担うことができるのだ。
幼いエスタは馬車の中で自分が泣いてることにも気づかず、レイチェルの冷たい態度も責めず、施しのお菓子も受け取らない。孤独にも困難にも嘆くことなく、自制心を失わずにいられるエスタの姿が、ジャーンディスの眼には何より優れた美質として映っている。慈善を続けなければ正気を保てない哀れなジャーンディスは、苦難に耐えるエスタの姿に救いを求めて、後に家政婦として荒涼館に招いている。
3.
エスタからスキムポールの不信を言い立てられても、いつも笑い飛ばして、聞き入れようとしなかったジャーンディスだが、61章でスキムポールがジョーを追い出していたことを聞かされると、何故かあっさりスキムポールと縁を切る。この急な心変わりには何があったのか。
ジャーンディスとスキムポールが取り交わした会話も、場面や状況なども一切記述がされず、これまで荒涼館が煩わされ続けてきた厄介ごとが解決された割には、あまりに淡泊に事が片づけられている。こうした不自然な消除は、語り手があまり語りたくない隠された事実を示唆している。
デッドロック夫人の死と、それに続いて起こるスキムポールの追放、これら接近した出来事の関連性を解くと、母の呪いから解き放たれたエスタ自身の性格が、大きく変容した事実を認めることができる。
デッドロック夫人は最後まで自分の素性を隠し続け、服装を変えてまで我が身を偽り、秘密を守りぬこうとして死んでいった。そんな母の惨めな最期を見届けたエスタは、もう誰かの犠牲となって仮面を被る義務から解放されただけでなく、自分を偽ることの虚しさを身をもって覚えているのだ。
つまりエスタの説得が急に聞き入れられるようになった背景には、母の死によって自由を得たエスタが「自らの」意志を持ち始めたことで、ジャーンディスの心にもより強く働きかけられるようになったためと解釈できる。ジャーンディスにとってエスタの存在は、もはやスキムポールを追い出せるほどの地位を占めており、その影響力から荒涼館にも真実の安定と平穏がもたらされている。エスタが母という枷から解かれると、物語は連鎖を起こすように上向きへと運ばれていくことになる。
ジャーンディスは64章でエスタとウッドコートを結び付け、二人のための新居をプレゼントすると、再び「感謝を受け取らない」独り者に戻ると立派に宣言をする。以前の独り者に戻るとは言っても、ジャーンディスはエスタにもスキムポールにも頼ることなく、終わらない裁判に耐えていこうとする新たな姿勢を獲得しているのだ。その成長の証として、ジャーンディスは新居をエスタ流に仕上げるすべが身についたことを披露して見せている。まるで子供が親の真似事をするところを見せて、自身の成長を見せつけるかのように。
壁紙の模様や家具の色、さまざまな調度類の並べ方などに、やはり私の好みや趣向、私独特のやり方や発明や気まぐれ――がどこにもかしこにも顔を出しているのがわかりました。(64章)
玄関から外へ出ると、そこには「荒涼館」と書いてあるではありませんか!(64章)
9章の冒頭で、エスタは「自分のことを書きすぎないように」と語り手である自分を戒めていたが、物語が進むにつれその意志も強固になっていく。母の死に対しての印象も述べようとはせず、ジャーンディスに行ったであろう喚起も記さない。そして自分自身は脇へと身を引くことで、ジャーンディスの決断や進歩を尊重するという配慮を払っている。謙虚に心を配って、図々しく自分の顔を出そうとはしない。ただ物語の結末で、こそりと漏らす一言を除いては。
※花嫁修業を積んでジェリビー夫人の元から逃げ出したキャディーは、終盤ではダンスの技能も著しく上達しており、多くの生徒を取って生活も充実させている。その一方でターヴィドロップの犠牲となり続けたプリンスに至っては踊ることも出来なくなってしまう。この二人の間に生まれた子(エスタと名付けられている)が不具を背負っているのも、まだ寄生虫のようなターヴィドロップが一家に暗い影を落としているためだ。エスタ・サマソンは救われたが、どこかでまた新たなエスタが苦しめられている。