1.
終章では渡辺のセリフ通り、「死者、死者の恋人、死者の友人」という三者の関係性が再現されている。ただし役者は変わっている。「キズキ・直子・渡辺」の過去の構図が、「直子・渡辺・レイコ」の新たな配役で再演されるのだ。
死者役:キズキ→直子。
恋人役:直子→渡辺。直子は肉体がキズキを拒絶し、渡辺は他の女に惹かれて、死者役からは離れていった。
親友役:渡辺→レイコ。死者役が自殺する直前、二人でビリヤードをしたり阿美寮で過ごすなどして交友している。
親友役の二人には、警察からの取り調べに対し同じ感想を抱くという共通点もある。
「それにあの人たち、精神病の患者なんだから自殺くらいするだろうって思ってるのよ」(11章)
2.
彼はその夜、自宅のガレージの中で死んだ。(2章)
「今日は負けたくなかった」という台詞からして、キズキは渡辺との勝負の結果に生死の選択を委ねている。結果的にキズキは勝利して、親友の渡辺には自分の弱さを見せないまま、勝ち逃げするように死んでいった。実は弱さを抱え込んでいたキズキの本性を、渡辺は阿美寮で直子から暴露される(6章)まで知ることはなかった。
キズキは最後まで渡辺には都合のいい部分を見せ続けていただけであり、渡辺はキズキの半面しか知らなかったことになる。つまりこの二人は互いに唯一の友人であると自認し合っていながら、心から打ち解けた関係など築けてはいなかったのだ。渡辺は直子と肉体関係を結ぶまで、「ずっとキズキと直子が寝ていたと思っていた」(3章)と思い込んでいたりと、キズキから悩みを相談される仲ですらなかった。
キズキは自分の弱さすら肯定してくれてしまう恋人の代わりに、親友である渡辺に真実の姿を曝け出そうとしていた。もしもこの日ビリヤードで渡辺が勝利していたなら、キズキは自分の限界を晒すことになり、渡辺に自分の弱さや迷いを打ち明け、素顔を見せた関係性を築くきっかけを得られていた。そして外の世界へと踏み出していく一歩に繋がったのではないか。
しかしその機会が訪れることはなかった。その理由は、渡辺が語った二つの証言から読み解くことができる。
渡辺は勝敗がほんの僅差、「何かの偶然」で決まったものだと記憶している。しかし最後までキズキの弱さを見抜けずに、キズキを英雄視していた渡辺の未熟さが、キズキに勝利を譲っている。渡辺が1ゲーム取り、キズキが「急に真剣になって」とか「冗談ひとつ言わなかった」などと本気になると、渡辺は相手のペースにすっかり押されてしまうからだ。キズキは残り3ゲーム全てを取って勝っている。キズキの弱い面など知らなかった渡辺は、キズキが本気を出した時点で勝とうというつもりも、真っ向から勝負を受ける気もなかったのではないか。自分自身の内面に踏み込んでもらおうと勝負を挑んだキズキを、親友であったはずの渡辺は受け止めようとしなかったのだ。
渡辺は最後まで直子と素顔で向き合うことができなかった。それは渡辺がキズキの正しい姿とは向き合おうとしなかったせいだ。直子は阿美寮でキズキの弱さを暴露したが、渡辺はキズキを英雄のまま思い出に留めている。二人で「キズキという死者を共有」(11章)し合えなかった二人が、本心から触れ合えることはなかった。
3.
「私と二人でどこに住もうだの、どんなことしようだのといったことを話したの」(11章)
直子は大阪での治療に挑む前に、阿美寮に一泊しに帰ってくる。レイコはこの日直子が元気そうに見えたのは、始めから死ぬことを決めていたからなどと渡辺に語っている。ところがその死ぬつもりだったという直子は、退院してレイコと二人で暮らそうなどと将来の展望を持ち掛けたりしている。
直子は大阪の病院へ移るとすぐ快方へと向かっていき、阿美寮に泊まりに戻ってきた頃にはすっかり元気を見せている。渡辺のことは「あの人」や「彼」としか呼ばずに、これまで貰った手紙を庭(=心)で焼き捨て、「生まれ変わる」と話したりと、人生の再生に挑む意志も見せている。またレイコには服を残していくが、渡辺には遺品を何も残していない。
大阪で直子が快方に向かったのは、これまで築いていた渡辺との関係性をすっぱり心から切り捨てたためなのだ。直子は渡辺に捨てられたという痛ましい事実を受け止めた上で、前に進もうとする意思を見せていたのです。
6章で直子はキズキとの性経験を赤裸々に告白することで、渡辺に自分の全てを曝け出して見せていた。そしてあの時と同じように、これまで誰にも話したことが無かったという渡辺との性体験をレイコに打ち明けることで、自分の全てを見せている。
直子は異性との肉体関係は「一度きり」のものと振り返り、「もう誰にも私の中に入ってほしくないだけ」と語っている。
6章の阿美寮で直子は渡辺のことを、「私と外の世界を結び付ける唯一のリンク」であると話していたが、その「一度きり」のリンク、つまり渡辺との関係を既に断っていたのだ。
これは諦めではなく、直子が現状と向かい合って、悩んで苦しみぬいて自らの意志で誓いを立てた、前向きな姿勢のあらわれだと考えられる。
「私は直子のいないあの場所に残っていることに耐えられなかった」(11章 レイコ)
そんな直子が今後外の世界に出ていくために頼れる相手は、親友のレイコ以外にはいなかった。直子は治療に挑む前に阿美寮へ戻ってレイコに退寮する提案を持ち掛け、将来の支えや展望となるような言葉をかけてくれることを望んでいる。
ところがレイコは、直子が求めていた応えと全くかけ離れた返答をしている。異性との交流を完全に諦めたと話す直子に、レイコはここでも世間体、まわりの世界を気にして男と生きることが幸せだと言い聞かせている。この発言は、レイコが世間的な価値判断に縛られるあまり、直子の個人的な事情に全く目が向いていないことを意味している。
レイコは渡辺の部屋に来ると真っ先に大家に叔母だと説明しに行き、そのために抜かりなく手土産まで用意している。二十歳の子と二人でいることが、まわりにどう見られるのかが気になって仕方がないのだ。直子との同居話の提案を受け入れるだけの心構えなど、とうてい持ち合わせてはいなかった。
泣き出す直子の頭をなでたり、濡れた下着を脱がしてやるうちに、レイコには直子が「十三か十四の女の子みたい」に見えてきている。少女をぶった後に「蛾でも食べたみたい」(6章)と覚えていた感覚は、「虫の音がやたら大きく聞こえていた」(11章)と蘇ってきたりと、少女と深い結びつきを持ちかけていた過去の光景が繰り返されている。
しかし渡辺への話を中断してまで「妹みたいなものだから」と弁解を入れるなど、未だにまわりの目や偏見に敏感で、怯えたままでいる。直子から抱いてほしいと頼まれると「汗がくっつかないようにして」と混じり合いを拒む。
阿美寮を出ようと直子が持ち掛けた提案は、直子だけではなくレイコ自身にとっての問題でもあった。この場面で直子と少女の姿が重なるように描かれているのは、かつて少女と対面して自分自身の問題を暴かれかけた時のように、現在の自分の問題に直面していることを意味している。しかし弱さや恐れを奥底に抑え込んだまま、問題と向き合うつもりもないレイコには、直子の訴えを受け取ることはできない。
4.
このように「死者役」のキズキと直子は、どちらも「恋人」に捨てられた後に、「親友」と関係を結ぼうとして拒まれている。死に至るまでに二度救いを求めていたのだ。しかし親友役は関係の変化を望まず、維持し続けることを選んだために、人格の発展に至る道を歩むことはなかった。
そして渡辺はショットが決まったのは偶然だと記憶に留めたり、レイコは直子が初めから死ぬつもりだったと決めつけているように、二人とも自分の行いが死者の生死を分けていたことには気付いてもいない。当事者である自覚もない彼らからは聞き出せることなど何も無いため、警察も素行や病状を理由に「自殺くらいする」と下してしまうほかは無かった。
「今はとりあえずあの子には黙っていることにしましょう」(10章)
直子を庇っているつもりでいる渡辺とレイコだが、直子は大阪の病院に移されるとすぐに快方に向かっている。何も知らされなかった直子は、一人で恋人に棄てられた痛みを克服していたのだ。
渡辺とレイコは直子を対等に扱おうとしなかったばかりか、痛みや喪失と直面していた直子の強さにも、自分たちの弱さにも気がつけない。人生の大事な場面で問題を避けてきた二人は、直子の死の原因も理解できないまま心の中に残されてしまう。
レイコと二人で歩きながら、直子と東京を歩いた頃を思い出したり、キズキの年齢について考えたりと、3章と同様の光景が繰り返され、恋人役と親友役は再び死者を共有しようとしている。
「あなたの母方の伯母で京都から来たってことにしとくから、ちゃんと話を合わせといてよ」
部屋に着くと、渡辺は部屋が清潔好きなのを再び突撃隊のせいにする。レイコは叔母のふりをして大家に挨拶する。こうして二人とも偽りの仮面を被ってから、素顔を隠した状態で、語り合い、慰め合って、結びつき、感情を共有し合う。渡辺は正しい記憶を掘り起こしたり、自分の犯した誤りを引き受けることなど望んでおらず、レイコの疑問を退ける。
「本当に何もなかったのかもしれませんよ」(渡辺)
レイコが直子から感じていた「不思議」とか「変」な違和感も、渡辺へと話されることで片づけられていく。深い不安を拭い去れない二人の慰め合いや心の結びつきは、体の繋がりによっても表現されている。
二人が行う葬式では、曲を弾くたびマッチ棒が並べられていく。この行為について考える前に、まずマッチ棒の「火」と「煙」が表す象徴から見ていきたい。
それから我々はくじを引いて二段ベッドの上下を決めた。彼が上段をとった(「蛍」)
渡辺と突撃隊は「マッチ棒」のくじを引いてベッドの上下を決めているが、これが短編の「蛍」では、ただのくじとしか記されていなかった。長編の「ノルウェイの森」で、マッチ棒のくじという意図的な変更が加えられたことになる。
当たりを引いている突撃隊は当然マッチ棒の火のつく赤い部分に相当しており、一方で外れた渡辺は火がつかないということになる。
レイコは自分をマッチ箱に例えているが、当然ながら箱には「火」がつかない。一方で少女の方が火のつくマッチ棒に例えられている。
レイコさんはにっこり笑って、ライターで煙草に火をつけた。(11章)
緑はマッチで煙草に火を付けているのに対し、レイコはマッチを使わずライターを使っているといった相違もある。マッチは木から作られた自然物だが、ライターは機械であり自然の火ではない。
「煙草ある?」と友だちは僕に訊いた。僕はショート・ホープの箱とマッチをテーブル越しにほうった。(17歳)
また短編の「めくらやなぎと眠る女」でも、語り手が高校生の時はマッチを使っていたのに、大人になってからはライターを使っていたりする。
火は情熱を表したり、真実を照らす光としての意味を持つ。しかし自分自身の問題を覆い隠している渡辺とレイコには、自然な火を起こすことができないようだ。
真実や情熱を表す「火」を灯せば、「煙」が上がることになる。4章で渡辺が緑の不満を聞いてあげていると、苦しみはやわらげられ、解消された感情は焼却炉や火事から「煙」となって上がっていった。この時「火の元」が見えずにいるのは、渡辺には原因の根本までは理解できないでいる様子が表されている。10章では緑が渡辺に煙草の「煙」を吹きかけてから仲直りしているが、この煙も問題の解消を意味しているため渡辺にとってうれしい煙だといえる。
二人が行う葬式では自然な感情を表すマッチに「火」がつけられることもなく、感情を解消するような「煙」も上がることが無い。自分たちの本心を隠したままの二人には直子を正しく追悼できないのだ。
「ほんとうに十七の女の子を犯してるみたいな気分ですよ」(11章)
二人による肉体の結びつきがやや唐突に描かれているが、その最中に二人は自分たちが17歳のようだなどと語っている。この発言から、二人の行為には17歳当時の過ちを埋め合わせようとする意図があると考えられる。
渡辺にとっての17歳とは、親友キズキ、そして捨てた恋人にまつわる過去の過ちが存在していた。
また、レイコも高校時代に上級生から誘いをかけられた過去があった。レイコにとって、初めて心と身体に介入しようとしてきた相手が高校時代にいたわけだ。
つまり17歳とは二人が初めて人間関係の構築に失敗した年齢にあたるわけだが、その当時に負った心の傷を、この行為を通じて上塗りしているということになる。
ところで、渡辺には肉体の結合を行う前から、すき焼きの準備をしている最中に、既にレイコが「十七か十八の女の子みたいに」見えてきている。このとき渡辺が扱っている「ゴムホース」には重要な意味がありそうだ。というのも、作中でゴムホースが登場するのは3度だけであり、その使用者というのがキズキ、直子、渡辺という主要人物の3人となっているためだ。
ゴムホースが使われている箇所を比べてみると、ゴムホースとは彼らの意識状況が何と結びついているかを示す役割を果たしているものと考えられる。
キズキはゴムホースを用いて死と結びついた。直子は鳥小屋で、「意識」を意味する鳥に逃げられたり無視されていましたが、この時直子はゴムホースで水を撒いている。水は「無意識」を表すため、直子はここで意識と無意識を結び付けようと努力していた姿勢が示されたものと考えられる。
そして渡辺はというと、意識状況を繋ぐための道具であるゴムホースを使って、レイコと共有し合う鍋物の準備をしているのだ。一つの鍋を二人で共有した後には、不誠実な葬式と、逃避や慰め合いを目的とした肉体の結合を行っている。
直子の誕生日(3章)には渡辺と直子はキズキを共有できず、心の交流は失敗していたが、渡辺とレイコは共同して死者を解釈し、問題の幕引きを図っている。
二人が曲を演奏する最中にはワインが開けられて飲まれている。
前回の記事で、葡萄が偽りの態度を意味する場面で登場するという共通項を上げた。そしてワインは葡萄から造られている。作中でもワインがたびたび登場しているが、ワインも葡萄と同様に、ごまかしや偽りの態度を意味している。ワインが飲まれる場面では、共通してコミュニケーションの失敗が描かれている。
食事が終ると二人で食器を片づけ、床に座って音楽を聴きながらワインの残りを飲んだ。僕が一杯飲むあいだに彼女は二杯飲んだ。(3章)
二十歳の誕生日で、直子は過去の記憶を振り返ろうとして失敗している。この時ワインは直子によって開けられ、直子はワインを積極的に飲んでいた。キズキや姉の記憶を掘り返すことを恐れて、逃れようとしているためだ。
6章の阿美寮でもレイコによってワインが開けられている。この日、直子は過去を正しく振り返って渡辺に伝えることに成功しているが、するとその後はワインを飲むことを拒否している。
翌日にはワインを飲んでいるのは渡辺とレイコだけで、直子は飲んでいない。
「そう?」とハツミさんが言った。
僕は聞こえないふりをしてワインを飲んでいた。(8章)
僕はワインを飲んでごまかした。(8章)
8章の食事会でも永沢によってワインが開けられている。渡辺がごまかしの態度を取る際には、露骨にワインを飲む描写がある。
直子がレイコに退寮する提案を持ち掛けた際にもワインが開けられていた。その後、レイコは直子の訴えを受け取ろうとしなかった。直子もそれ以上は訴えを通そうとはしなかった。
彼女はワインをすすり、煙草をふかしながら次から次へと知っている曲を弾いていった。(11章)
灯籠は「火」を灯し、「明かり」をとるための器具であり、さらに「心」を意味する「庭」に置かれている。しかし二人は心に真実の火を灯す代わりに、偽りの態度を意味するワインを置いてから、葬式と称した演奏をしていくのだ。
レイコを送り出した渡辺は、緑に「新しく君と始めたい」と電話をかけるが、無自覚に本心を偽る自分に気づけない限りは、再び同じような問題が繰り返されるだけであり、信頼関係など築いていけるはずもない。レイコと夫や、渡辺と直子のような破綻が生じるだけであり、緑と確かめ合った「まん中」からは弾かれ、立ち位置を見失っている。そして「まわり」の世界の中に再び自分を置こうとしているのだ。
僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。(11章)
「あらゆる物事としかるべき距離を置く」。この言葉通り、渡辺は相手を観察・理解しようとするばかりで、自分の感情を相手と直接触れ合わせようとはしない。渡辺の態度は「ガラス」を1枚挟んで相手と向き合っているようだと作中では例えられている。自分は安全な立場に身を置くことで、平静を保ち、悩み苦しむことから逃れているのだ。心を開かずに接していては、信頼感が生まれることも、深い関係性に進展するはずもない。
このガラスは緑の父の見舞いで、自分に素直で自然な態度を味わったことによって一度は破られ、そしてハツミや緑との交流へと進展していった。しかし最終的に渡辺は、ガラスの向こう側へと戻ってしまっているのだ。
↓
その週の半ばに僕は手のひらをガラスの先で深く切ってしまった。(8章)
↓
緑は長いあいだ電話の向うで黙っていた。まるで世界中の細かい雨が世界中の芝生に降っているようなそんな沈黙がつづいた。僕はそのあいだガラス窓にずっと額を押しつけて目を閉じていた。(11章)
5.
「私、青函連絡船って好きなのよ。空なんか飛びたくないわよ」と彼女は言った。(11章)
旭川までの交通手段として、渡辺は飛行機を提唱し、レイコは船を選んでいる。またレイコの元夫の職業は飛行機整備士でもあった。そして渡辺は1章の冒頭で、巨大な飛行機に乗ってドイツに着いている。
母なる大地や海など土着的な感情面を表している「地」と、知的で高い精神性を表す「空」との選択に、二人の行く末が暗示されている。飛行機は都会化や近代主義の象徴として描かれてきた車の上位種のようなものでもある。ドイツに旅立った永沢と同じように、結局は渡辺も思想や理論にかまけて感情や情緒すらシステム化して捉えようとする道を歩んでいく。
1章の冒頭で37歳の渡辺は、機内で流れたノルウェーの森のBGMを聞いて激しく混乱してしまう。その日に限って普段より彼を「揺り動かした」という理由は、曲が流れる前から「雨」、「雨合羽」、「旗」、「車」などといった、渡辺が通り過ぎてきた重要なモチーフが目についていたせいではないか。飛行機の着地後に「禁煙のサインが消え」ているのも、煙を上げるように感情を発散させるよう応じているようだ。彼には追悼したはずの死者への違和感が再び蘇っている。
「私たちいつも洋服とりかえっこしてたのよ。というか殆ど二人で共有してたようなものね」(11章)
直子は自分の言葉の意味が理解できずにいる渡辺に、ただ自分が存在したことを覚えていてほしいと虚しい願いをかける。レイコには二人で「共有」していた服を残している。服はペルソナとして、外的な姿、見かけなどを表す意味合いを持っている。緑色の服が似合わないという緑は周囲と折り合えない困難さに直面していたり、セーターを笑われた突撃隊は彼の態度が周囲に受け入れられない様子を示している。直子が自分の服をレイコに着てもらいたがっているのは、自分が見せていた態度や発言の意味をよく考えなおしてもらいたがっているためだ。直子は最後まで共有されることの無かった本心に、いつか二人が気づいてくれることを願っている。