ノルウェイの森 4章の補足

1.
大学に戻った渡辺は、さっそく学生運動を先導した者たちの欺瞞にぶち当たる。周囲に馴染む気もなれず、講義には返事をしないことで抵抗する。それを機に渡辺に興味を持った緑が接触してくる。強制収容所などと呼ばれたり地図制作のバイトをしていたりと、突撃隊を連想させるような緑は、この後の渡辺の相棒役を突撃隊から引き継ぐことになる。積極的な性格の緑と受動的な態度でいる渡辺とは、互いの欠点を補うように上手く組み合わさる。

緑たちは男2人女2人の組み合わせでレストランにやってくる。この男女4人の交遊の和とは、渡辺とキズキが高校時代にダブルデートを試みたものの築けなかった組み合わせであり、大学に入ってからは永沢との女あさりによって再現しようとしている、つまり円滑な人間関係の様相を象徴している。既に完成された4人という和から緑がわざわざ外れてくるのは、誰も同意してくれない男女の在り方への疑問や不満を訴えたいためだ。

緑は周りの男たちに短い髪を馬鹿にされた不満を述べ、男たちが「髪の長い女の子」に抱くイメージを否定する。次に会った時には、ごく普通の公立高校に入りたかったのにエリートの子が集まる女子校に入れられてしまい、周囲に溶け込めず苦労した思い出を語る。

緑と渡辺が意気投合するのは、二人とも世間一般に求められる女らしさや品位といったものが、さっぱり理解できないためだ。渡辺も高校時代には上品な学校に通う女の子とのダブルデートに失敗し、大学に入ってからはハツミから下級生の子を紹介されても逃げ回っている。長い髪をした直子とは会話が生まれず、理解できないまま去ってしまった。似たような上品な女子校に入れられた緑は、同級生だった女の子たちへの不理解を次々と口にする。同じく彼女らを理解できないでいる渡辺も、緑の話を内心では同意しながら聞いているのだ。

長い髪や品位に認められるような、一般の女らしさが相容れない渡辺は、短い髪をして臆さず話しかけてくるがさつな緑とならすぐに打ち解けられる。緑の短い髪は「まっすぐなきれいな髪」をしている直子と、そして「生き生き」とした瞳は疎通を図れなかった直子の「透明」な目と、それぞれ対照をなしている。渡辺には緑が「小動物」のように映ったり、料理をする姿を見ては「中性的」だと印象を持ったり、タバコの消し方などが女らしくないと指摘しているように、二人の仲は男女というよりは、男友達のような付き合い方から始まっている。

「家庭的な背景?」と僕は驚いて訊き返した。
「あら、あなたそれ知らなかったんだっけ?」とレイコさんの方が余計に驚いて言った。(6章)

直子は深刻な家庭問題を渡辺に話せず一人で抱え込んでいるが、緑は渡辺が何も聞かずとも自分から家族への不満を吐き出してくる。直子と正反対な性格をしている緑は、渡辺が付き合いやすい人物像の条件を兼ねそろえている。

ところで髪型を褒められ気を良くした緑は、渡辺に緑色の服が好きかと尋ねている。姉と比べて自分には緑色が似合わないことが「不公平」だと言うのだ。次に会ったときには紀伊国屋と比べて小林書店は惨めなものだと述べている。ここではお金が無い自分の惨めさを、容姿に恵まれない子と同義に扱っている。
つまり生まれながらに不公平や不平等が存在するという話だが、これは髪型を褒めてくれた渡辺に訴えてもどうにもならない。これについての回答は9章に持ち越されることになる。(別記事 主人公の成長について(3)

2.
渡辺は約束の時間に現れなかった緑を店の外で待ち続けたり、自宅の電話番号を調べてかけたりと、緑を追いまわすような行動をとりだす。一人で寝袋を担いで旅行に行ったり、教室では一人で座ったり、食事も離れた店でとるだのと、孤立する行動をとっていながら、実は人恋しさに駆られていたのだ。

僕は緑のフェルトを貼ったビリヤード台や、赤いN360や机の上の白い花や、そんなものをみんなきれいさっぱり忘れることにした。(2章)
僕はもう一度下におりて薄暗がりの中に横たわった十本の水仙の白い花をとって戻ってきた。(4章)

3度目に渡辺は緑の家に招かれると、途中で水仙の花を買って行く。それから意味ありげに水仙水仙と、繰り返して記述がされているのは、ただ一か所だけ記された「白い」という形容詞を隠そうとしているためだ。渡辺はキズキの葬式の後に、死が印象付けられてしまった「白い花」を忘れようとした、などと記述していたのに、ここでは白い水仙を買っていく。緑に会う楽しみのあまり、以前に自分が定義していた死の存在すら忘れてしまっているのだ。なお8章ではハツミと交流しながら「ビリヤード」も忘れてしまうことになる。

それから突然僕は水仙の花を階下に置き忘れてきたことに気づいた。靴を脱ぐときに横に置いてそのまま忘れてきてしまったのだ。僕はもう一度下におりて薄暗がりの中に横たわった十本の水仙の白い花をとって戻ってきた。緑は食器棚から細長いグラスを出して、そこに水仙をいけた。(4章)

渡辺がせっかく買った花だが、一度階下に置き忘れて後に取りに戻ることになる。渡辺が「突然」花を思い出すのは、緑から歓迎され、「もてなしが大好きな家庭」だと聞かされ、ビールをどんどん飲んでと言われた直後のことだ。この場面からは渡辺の自己欺瞞な体質を読み取ることができる。

緑のために花を買ったはいいものの、どう考えても渡辺は贈り物を渡すなど、素直に好意を示せるような性格ではない。直子をコンサートに誘ったときなどは無料の「招待券」であることを口実にしている(3章)。そのため花を渡すことにためらいを覚え、無意識のうちに花を置き忘れていくのだ。しかし緑から先に盛大な歓迎を受け、自分からも贈り物を渡しやすい雰囲気になったことで、都合よく花の存在を思い出す。それでもまだ照れていたためか、語り手は花を渡したシーンについては巧妙に作中からカットし、緑が花を飾る場面まで飛ばしている。

食事中には緑がだし巻き卵を作るために苦労した思い出を語って聞かせる。渡辺はオムレツ(4章)、卵サンド(7章)、卵焼き(9章)を食べ、ゆで卵の好みを語る(10章)など卵料理が大好きなので、この話は内心ポイントが高い。緑の話は料理に理解を示さなかった家族への不満から、家族との交流や愛情が不足していた話へと連なっていく。こうして親しくなるにつれ、またもや緑の話は生まれながらの不公平や不平等の問題へと近づいていく。

緑の不満を友人や彼氏は現実的な応えではねつけるのだが、渡辺は何でも聞いてくれる。渡辺にもキズキが最後まで守り通していった、子供じみた世界への理想が未だに残っているからだ。6章の阿美寮では成熟した直子の肉体(=心)を見ても、「思春期の少女独特」の美しさが失われたなどと惜しんでいる。

それでも彼女が失ってしまったものことを考えると残念だなという気がしないでもなかった。あの思春期の少女独特の、それ自体がどんどん一人歩きしてしまうような身勝手な美しさというべきものはもう彼女には二度と戻ってこないのだ。(6章)

緑は親から十分な愛情を受けられなかったと不満を述べた後には、死んだ母親が夢に出てきて非難してくるとも話す。親に愛されなかった不満は、親に愛を返さなかった負い目として自分に返ってきてしまうのだ。理想の愛としてケーキを投げ捨てる話をするが、「ずいぶん理不尽」だと渡辺からも困惑されてしまう。
緑は自分のわがままが絶対にかなえられないことも、不満を吐くばかりでは決して自分が満たされることがない事実にも気づいている。振りかざす言葉は何らためにならず、ただ自分を苦しめるばかりで発展性を持たない。

まわりの人も私のことを生者よりは死者に近いと考えているような、そういう状況なのよ」(4章)

周囲と折り合うことも出来ないが、周囲から見捨てられる疎外感や孤独を何よりも恐れている。結局、緑も渡辺も不満を吐いたりそれに同調しているだけでは、いつまでも自分たちを支え続けてくれるわけではないという現実認識に行き当ってしまうのだ。

3.

これは僕としてはすごく不思議なのだけれど、彼と一緒にいることで僕までがどうも魅力的な男のように見えてしまうらしかった。僕が永沢さんにせかされて何かをしゃべると女の子たちは彼に対するのと同じように僕の話にたいしてひどく感心したり笑ったりしてくれるのである。(3章)

渡辺と永沢のダブルデートは、「三回か四回」さらに「二度」と記されており、その両方で「簡単だった」などと強調されている。渡辺はナンパにおける永沢の話術を「才能」とか「魔力」と呼んで絶賛しているが、女の子たちは初めからナンパ「されに」来ているのだから、実際には話など決まりきった段取り通りに運ばれているだけにすぎない。永沢も女漁りを「ゲーム」とか「システム」と呼んでいるように、パターンのような一定の態度を取り続けているだけなのだ。
渡辺が愚にもつかない話をしても、女の子たちは場が上手く運ぶように取りなしてくれている。ただの形式にすぎない会話を、初心者の渡辺はコミュニケーション力と取り違えて解釈している。

ところが4章でのダブルデートは「その日に限って」不思議と上手くいかない。

この一週間ばかり僕の頭はひどくもやもやとしていて、誰とでもいいから寝てみたいという気分だったのだ。(4章)

この日に限って女あさりが失敗しているのは、渡辺が緑と交わしたような親密な心の交流を、ナンパの形式に持ち込んでしまっているためだ。渡辺は小林書店からの帰り際に緑に二度も誘いをかけたり、翌日は大学でも人恋しがってキズキを思い出したり、緑を探したりしている。永沢から女あさりに誘われた渡辺が「この一週間ばかり僕の頭はひどくもやもや」としていたのは、ちょうど「一週間前」に緑とキスして終わった出来事が渡辺の頭に残り続けていたためだ。渡辺は緑と交わしたような心の交流を、ナンパされにきた体目的の女と持とうとしたために、永沢のナンパのプロセスを破壊してしまっているのだ。

「永沢さんにもこういう日があるんだとわかっただけでも楽しかったですよ」と僕は言った。(4章)

語り手はナンパが上手くいかないのを永沢のせいにしているが、実際には上辺以上の繋がりを求めた渡辺がいつもの会話の形式から外れたり、なにか余計なことを言うなどして場を気まずくさせている。あるいは上辺を破った雰囲気や、たたずまいがにじみ出ていてナンパされにきた女の子に敬遠されているのだ。
永沢は仕方なく三人組の女に声をかけるが、会話こそ弾むものの、二人組で来る子とは違ってナンパされに来てるわけではないため、門限もあり、暇をつぶすと帰ってしまう。永沢の才能やら魔力というのはこの程度なのだ。

「でもさ、どうして彼が他の人と寝てることがわかったの?」
「いつの話、それ?」
「ドアは鍵があいてたわけ?」
「どうして鍵を閉めなかったんだろう」(4章)

ひとり新宿に残った渡辺は喫茶店で二人組の女と相席になると、「小柄な女の子」から彼氏の浮気が発覚した話を聞かされる。すると渡辺はこの話に異様な興味を示し、質問を浴びせかけ、浮気がバレた時の状況をくわしく聞き出している。これは直子という恋人がいながら緑に惹かれていることに気づいた後ろめたさを味わったためだろう。

どこからかやってきた二羽のが電柱のてっぺんにとまって地上の様子を眺めていた。(火事の直後)
カラスの群れが西の方からやってきて小田急デパートの上を越えていった。(浮気話を聞いた直後)

緑と二人で火事を眺めながら傍に止まっていた「カラス」は、浮気話を聞いた直後に飛んでいってしまう。カラスが飛び去るのは渡辺の意識下から緑の存在が飛散していった心情を表している。カラスについては、7章でも「鴉が木のほらにガラスを貯めるみたいに」などと、渡辺が自分の行為をカラスに例えて語る場面がある。

「小柄な女の子」はホテルに入ると「別人のように」と変わり、「十六回も他の男の名前を呼んだ」などと、渡辺のことを彼氏の代役として扱っている。つまり浮気された不満を代役を用いて解消しているわけだが、浮気しかけていた渡辺もまた、直子の代役を使って償いをしながら、緑に惹かれていた気持ちを解消したのだろう。
目を覚ました後、渡辺が緑にかける電話は繋がらない。緑に抱いていた情念をいったん解消したことによって、寮に帰ると直子から手紙が届いており、阿美寮へと招待されることになる。

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