1.
鍛冶屋の修行に不満が募るばかりのピップは、上流階級への憧れが捨てきれずに、ついには馬鹿げた期待を持って呼ばれてもないサティスハウスに押しかける。しかしエステラは淑女になるための教育として外国へ行っており、ますます距離が開いたことを実感するだけだ。自分の家と仕事がなおさら嫌になった恩知らずは、「ひとかどの人物」になったつもりで街をぶらつき現実から逃避する。すると偶然出会ったウォスプルに連れられ、パンブルチュークの家で朗読を聞かされることになる。
ピップは自分をサティスハウスへと駆り立てた俗物性や、セイラ・ポケットらと同じ下心でハヴィシャムに近づいた事実を客観視したがらない。ジョーからの賢明な忠告も聴き入れようとはしない。しかし姑息に自分を欺こうとしても、やましい気持ちは完全に隠し通せたわけではない。
悲劇を朗読するウォスプルとパンブルチュークから、劇の主人公が犯した罪を我がことのように押し付けられ、罪人のように咎めだてられると、ピップは二人に全く抵抗せず、というより「進んで」これらの罪を聴き入れているからだ。ピップの良心は、悲劇の主人公が犯した恩知らずな行為と、自分のルーツを否定したがっているピップ自身とを結びつけて、欺瞞性を訴えている。
加えて帰り道では囚人が脱走したという知らせを聞かされると、「これはいろいろなことを考えさせる話題だった」と、償わぬままでいた過去の罪も呼び起こされてしまう。罪悪感に囚われたピップは、姉が暴行を受けたことを知らされると、自分が犯した罪を明確に実感させられている。
2.
「ビディ」私は恨みがましく言った。「ビディはぼくの先まわりばかりして、とても追いつけないよ」(18章)
財産を与えられることになったピップだが、その晩ジョーもビディも褒めてくれないので全く嬉しくなれない。ピップの目的とは自分が敬われ、特別扱いを受けることにあるからだ。
ピップが服を新調する計画を立てたり、村の人たちから受けるであろう称賛に期待していると、ビディから上記のような指摘を受ける。晴れ姿を真っ先に家族に見せようとせず、家族と喜びを分かち合おうとする気持ちなど後回しにされている浅薄さが、ビディによって暴かれている。ビディはジョー夫妻に敬意を払うべきだと伝えようとしているのだが、周囲が思い通りに反応してくれないことにピップは苛立つだけで、自分の忘恩ぶりは認識したがらない。
「何つべこべ言ってるの」ポケット夫人は言い返した。「さっさと席に戻って!」
夫人のあたりを圧する威厳に、私は自分が悪いことをしたかのように畏れ入った。(23章)
爵位を何よりも重んじるポケット夫人は、階級的特権を家庭内でも振りかざそうとする。不注意な母に先んじて幼子を助けようとした娘の行為も許さず、爵位を持つドラムルとは同じ仲間のように会話し、「公爵夫人」と呼んで敬ってくれる手癖の悪い料理人は誠実なメイド以上に優遇する。肩書に誇りを持つポケット夫人の姿は、大いなる遺産を受け継いでもジョーとビディから特別扱いされないことが不満だったピップの内心を皮肉に描き出す。ピップの憧れる特権階級のモデルが滑稽に描かれるが、高圧的な態度を取るポケット夫人が理不尽に見えていながらも、ピップは夫人の態度にすっかり圧倒されている。サティスハウスの女たちから施された躾はここでも成果を上げている。
3.
姉の訃報を受け取ったピップに忌まわしい過去の記憶が蘇ってきても、紳士の教育を受けたり浪費を重ねる放縦な暮らしのおかげで平静が保たれている。姉の葬式の日に、ピップが村を歩きながら考えているのも、世間の評判を得られれば嫌な過去も葬り去れるという地位へのあくなき信頼だ。村人から尊敬を集めている姿を想像したりと、紳士になれさえすれば心の平穏が保たれるものと、まだ疑っていない。
実家に帰ると、家全体がトラブ商会に差し押さえられているような印象を受ける。家の前に立っているのは、馬車で暴れて騒動を起こし青猪亭をクビになったという御者だが、その男が今はトラブ商会に雇われており、実家の差し押さえをしているように見えているのだ。この印象は、村の労働者が追い払われても再起して這い上がり、まとわりついてくるイメージをピップに植え付けている。そのため葬式後にピップは、サティスハウスの門番をクビにさせたオーリックの動向をビディに尋ね、今は石切り場で働いていると聞くと「この土地から追い出してやる」と息巻くのだ。自分の惨めな生い立ちを記憶から遠ざけたいピップは、再び村を訪れる約束を守らず、ジョーやビディへの感謝ごと忘れてしまおうとする。
こうして長い間ピップが目を覆い続けてきた真実は、マグウィッチの訪れによって暴かれる。その前触れにピップが姉を思い起こしているのも、大いなる過ちの根源が、幼年時代に彼女から受けた暴力と結びついているからだ。姉の訃報を受け取った後にも彼女の気配を感じていたように、ピップは恐ろしい姉からの支配をずっと受け続けているのだ。